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新教徒の頑迷な迷信家


水村光男「この一冊で世界の歴史がわかる」国の興亡、民族の盛衰-その時、歴史はどう動いたか?/三笠書房 より


魔女とはサタンと結託して自分の目的を遂げようとする者の意味で、必ずしも女性に限定されない。(witch=女性の魔女、男性の場合はmale witch=wizard  )妖術や呪術を用いる魔女や魔法使いの歴史は古く、どの文化層にも登場する。聖書ではサタンはともかく魔女については問題視されていない


だが1300年を境に異端審問が強化され、事態は一変する。いわゆる魔女裁判によりベーメンの教会革新運動提唱者のヤン・フスや百年戦争末期の英雄ジャンヌ・ダルクが火刑に処されたのは、その典型である。


しかし意外なことに、魔女狩り旋風が吹き荒れたのは、後期ルネッサンスと宗教改革運動の時期なのである。異端審問を始めたのは旧教徒(カトリック)だが、旧教徒よりもさらに頑迷な迷信家だったのは新教徒(プロテスタント)であり、彼らが魔女裁判をいっそう盛大なものにした。


たとえば、宗教改革の出発点ドイツは、最も苛烈な魔女裁判の本場であり、それが苛烈になったのは宗教改革以後のこと。それも新教徒の手によってであった。ルターもカルヴァンもツヴィングリも、大真面目に魔女の実存を信じていた


ヨーロッパで魔女狩りが姿を消す18世紀後半(新大陸では1692年の「セーレムの魔女事件」を最後に消滅)までに処刑された総数は諸説あるが、ヨーロッパだけで30万とも、900万とも言われている。


ヒューマニズムと合理精神が叫ばれたルネサンス、良心の自由を強調した宗教改革の時代に、残虐と迷信に彩られた魔女狩りの嵐が吹き荒れたしかもこの旋風をあおったのは、教皇・高位聖職者・国王・貴族・当代一流の学者・裁判官など「超一流」の人々だった。そしてこれほど組織的に魔女狩りを行ったところは、この時期のキリスト教国以外にはないのである


人間は宗教的信念をもってするときほど、喜び勇んで、徹底的に、悪を行うことはない」⇨ ブレーズ・パスカル

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地球ネコ
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

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