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長距離ランナーの遺書-2



女子SPA!⇨ https://joshi-spa.jp/893319/2
リスクしかない組体操がなくならない理由 より


地域の偉い人に“従順さ”と“団結心”を披露する場

小学校の運動会では、観覧正面側がテント付き、椅子付きの「来賓席」「敬老席」に占拠されていることが多い。PTA役員がすることといえば、来賓へのお茶くみ接待である。まるで運動会自体が、地域の有力者接待のために存在しているかのようだ。


『近代教育の天皇制イデオロギー――明治期学校行事の考察』(山本信良、今野敏彦)によれば、子供が競い合う姿を地域住民が鑑賞したがるのは、今に始まったことでもないようだ。


江戸時代の寺子屋では、「席書」と呼ばれる書道大会が一大イベントだった。この日は父兄のみならず地域住民が多数集い、戸外から師匠や子供たちのテクニックを品評する。運動会ではなく書道クラブなのは、寺子屋に体育がなかったからである。


国家の教育方針が知育重視から徳育・体育重視に変化する明治中期より、全国の小学校に運動会が普及するようになる。そのきっかけは初代文部大臣・森有礼が小学校に軍隊の規律と秩序をもたらすべく導入した「兵式体操」である。


森は兵式体操の披露の場には運動会がふさわしいと考え、全国の学校を巡視して運動会の開催を奨励した。大臣や政府高官がやってくるということで、各地の小学校はあわてて運動会を開催することにした。


子供たちはラッパを吹き鳴らしながら隊列を作って会場へと移動する。これも兵式体操の実践となった。小学校運動会はその起源からして、学校が子供たちに従順さと団結心を仕込んだことを偉い人に披露するためのイベントだったのだ

 

それでも運動会は娯楽の少ない子供たちにとっては楽しいイベントだったし、親や地位住民にとってもそれは同様だったろう。当時は学校対抗運動会だったこともあり、地域住民も観覧して町ぐるみ村ぐるみで子供たちを応援していた。

<参考/堀越英美『不道徳お母さん講座』 編集/森聖児>

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地球ネコ
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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