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無意識を「意識化」する

身の安全さ。おれの手にあるきさまの身の安全よ。二度と再び、ここより東へは行かぬと約束しろ。そうすれば、おれも手荒なことはせん。「身の安全だと⁉このわしをおどそうというんだな。何にかけてだ。」きさまの名にかけてだ、イエボー

⇨ ル=グウィン「ゲド戦記1・影との戦い」岩波書店 より

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A・W・シェフ「嗜癖する社会」誠信書房_より

命名の役割

嗜癖があることを認めない限り、嗜癖からの回復は望めません。このように現実に命名することが回復の本質になります。嗜癖システムの中で嗜癖的なプロセスによって動かされていることを認めない限り、回復への道は決して開かれないでしょう。


何かに名前をつけるということは、それを所有するということです。いったん所有すれば、それは私たちのものになり、以前なら断念していたパワーをもたらします。パーソナル・パワーを使うことをひとたび覚えれば、以前ならできなかった発見をするようになります。


システムを嗜癖と名づけることが、それをとがめているのではないことを忘れないでください。回復への可能性を模索しているのです


命名されていないものが、私たちに影響を及ぼすことがあります。「身体的虐待」_batteringは以前からあったのに、一般的な名前がつけられるまで、存在しないことになっていたのです。誰もそれについて語らず、身体的虐待者あるいは身体的虐待の被害者と呼ばれず調査も行われませんでした。


被害者たちの救護施設も、研究や対策のための基金も設けられませんでした。しかし一度名前が授けられた後には、身体的虐待は認知される現実となり、認識することができるようになったのです。


「ゲド戦記・影との戦い」のなかで、アーシュラ・ル=グウィンはいかにして魔法使いになるかを述べています。訓練の期間中は、膨大な時間を「名づけの長」と共に過さなければなりません。


名づけの長はあらゆる事柄の真の名前(本当の意味)を知っています。真の名前は、一般に誰もが使う名前とは異なります。あらゆるものの真の名前を学べば、それが持つどんなパワーも自分に取り込むことができます。私たちの生きるこのシステムにおいても、それが必要なのです。

自己破壊的同調の内面化

A・W・シェフ「嗜癖する社会」誠信書房_より

嗜癖はそれ自体適応の一様式であり、個体が環境に過剰適応して、自己破壊的になって行くという現象である。私たちが生きているシステムは、私たちに自己破壊的同調を強いている


ミッシェル・フーコーは「監獄の歴史」の中で、十八世紀の建築家の考案した「監視のための理想建築」パノプティコンについて述べている。中庭のある円形の建物で各室の仕切りには窓がなく、住人は互いに接触できないようになっている。中庭には建物と同じ高さの監視塔が建ち、各階の居住者の動向は、水平の位置にいる監視人によって効率よく見張ることができる。


この建築様式は、監獄や病院などで採用されたにとどまったが、効率的監視による社会制御のアイデアは現代人のお気に入りだ。今やパノプティコンは私たちの心の中に建っている


現代の市民たちは、暴力で抑圧されることは少なくなったが、代わりに徹底的な評価で管理され「品質」ごとに階層分化されるようになった。この評価は内面化されて厳しい自己評価となり、自らを客体化して他者にとっての「品質の良い商品」になろうと必死になっている


摂食障害の少女たちの、鋭い自己批判と自己の身体の客体化は、その分かりやすい例である。拒食少女たちは、身体が極度に痩せ始めてから疾患と見なされるのだが、実は彼女たちの障害はそれ以前から始まっている。親にとっての良い子であり、学校教師にとっての成績優秀な生徒であり続けることが自己目的化した時点で、彼女たちは既に「生きにくさ」を感じ始めていたのである。こうした人々にとって、規範からの逸脱はそれ自体、回復への道を開く手段である


少女たちが彼女たちの身体を客体化し、異性にとっての「良い製品」である自己を作り出すことに汲々としている間、彼女たちの父親や母親は職場にとっての良い働き手、家族にとっての良い母親を演じ続けてやまない


職場に過剰適応している多くの父親たちは、それによる苦痛を感じることもないという点で、彼らの娘たちよりも危険なところにいる


彼ら仕事依存者たちは、そうした夫にひたすら奉仕する共依存的な妻たちの期待に応えて、ひたすら働き、豊かな人間関係と、成熟した自己洞察を失って行く。


現システムの「健全な家族」で営まれているのは、この種の非健全である


子どもたちは、職場での成績にしか生きがいを見いだせない仕事依存的な父親と、彼に奉仕しながら支配する母親を見ながら、家族という「居心地の良い牢獄」の中で成長し、他者から評価されることでしか自己を実感できない人に育つ。


学校制度は、この種の空虚な人格の養成を主な機能とし、その規範に同調する生徒は、次の世代の役割ロボットの合格品と判定される。


自己中心性

アン・ウィルソン・シェフ「嗜癖する社会、1993年、誠信書房」より

嗜癖者は周知の通り自己中心的です。彼らは周りの人々を気づかっていると主張するかもしれませんが、彼らのこだわりはあらゆるものに影を落としていきます


少し前のこと、私は自己中心性の特徴を示すショッキングな出来事に出会いました。私は鉱泉のプールのわきで居眠りをしていたところ、誰かのたてた大きな音で目が醒めたのです。一人の母親が小さな息子をプールに連れてきたところで、彼女はラウンジチェアーをバタバタ動かしていました。周りの邪魔になることはまったく気にならない様子でした。


彼女はまた、子供の影響にも無関心でした。二人がどうしてこのプールにやってきたのか、別の人が彼女に彼女が話しているのも耳にしました。息子が筋肉を傷めたので、学校を休ませて鉱泉に入りに来たのだというのです。しかし着いてみると、子供は鉱泉に入ることができないことがわかりました。それでも彼女はそこに留まることにしました。


空いている椅子は一つしかありませんでした。彼女はその椅子を取り、別の椅子が空くまでコンクリートの上に座っているようにと息子に言いました。子供はそれに従い、楽し気にイヤホンで音楽を聴きだしました。母親はちょっとだけ聞いていいかと尋ね、子供がラジオを渡すと、三十分ばかり自分が聴きいっていました。


それで子供は、母親が持ってきたジュースを飲んでいいかと尋ねました。母親はバックからジュースを取り出し子供に渡しました。彼は栓を開け一口飲んで、そっと自分の椅子に置き(その時には自分は椅子を見つけていました)そこら辺をぶらつき出しました。


彼がいない間に、母親はジュースを取り上げ、全部飲んでしまいました。子供が戻ってきてジュースが空なのに気づいてから。ちょっと信じられない会話が始まりました。


「残ってないよ」と子供が言いました。「ちょっと飲んだだけよ」と母親。「ぜんぜん残ってないもん」「そう、ちょっと飲みすぎたもしれないけど、でも全部は飲んでないわよ」「お母さんが全部飲んじゃったんだよ」「ぐずぐず言うんじゃないの。あとで新しいのをあげるから」「でも喉乾いたよお!」「後でって言ったでしょ!」と母親は叱りました。その子供の要求はささいなものだったのに、母親はまったく無視してしまいました。


不幸なことに自己中心性は伝染します。他人のことをほとんど気にかけない人々と一緒にいると、自分を守り私財をため込み自分のことしか考えられなくなるのです。誰もがそうしているからです。この少年が成長した際、自分勝手にならなければ何も手に入れられないと信じるようになる様子が想像できます。


ごく最近、鯨見物に行った際、さらに驚く例にあってしまいました。ツアーの参加者の一人が急に気落ちして姿をくらましてしまったのです。何が悪かったのかと後で尋ねたら、お金を費やしてはるばるやって来たのに、鯨は自分がここにいることにも気づかない、と彼女は答えました。まったく自己中心的です。


自己中心性のもう一つの側面は、自分を宇宙の中心に置くことです。あらゆる出来事は、自分のためになるか、ためにならないかで区別されます。

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地球ネコ
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

Author:佐藤蓼丸
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