FC2ブログ

暴力の深淵


エーリッヒ・フロム「悪について」紀伊國屋書店より

生が、構成され機能することにより生長する特徴を持つのに対して、ネクロフィラスな人は、成長しないもの機械的なもの をすべて愛する。そしてまた有機体を無機体に変貌し、生きているものを物体であるかのように機械的に接したいという欲望に駆られる。あらゆる生命過程、感情、思考はすべて物体に変貌される経験よりは記憶が、存在よりは所有がここでは重要なのである。ネクロフィラスな人は、それを所有する場合にのみ花とか人とかを、客体として関与しうるのである。


それ故、自身の所有物に対する脅威は、自身に対する脅威であり、もし所有できなくなれば外界と断絶することになる。それ故、たとえ生を失うことにより所有するものが存在しなくなったとしても、所有するものを失うよりは生を失う道を選ぶという、逆説的反応が見られる。彼は支配を愛し、支配しようとして生を抹殺する


彼が生を深く恐れるのは、生がそのもてる性質上、無秩序で制御しにくいからである。ネクロフィラスな人にとって、正義とは正しき分断を意味し、彼らは自分たちの正義のためには喜んで殺し、喜んで死ぬ。「法による秩序」が彼らにとっての神であり、法と秩序を脅かすものはすべて、自らの至高の価値に対する挑戦と受けとるのである。


生から離れ生に敵対するものは、すべて彼を魅了する。彼は子宮の暗闇、さらには無生物的・動物的な存在の過去に戻ろうとする。彼は本質的に過去を志向し、憎み恐れる未来を志向しない。彼が切望するものは確実性である。


しかし、生は確実なものではなく、予測できず、制御できない。生を統御しうるものとするためには、生は死に変貌されなければならない。事実、死は生における唯一つの確かなものである

記事分類
地球ネコ
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
リンク
武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
BlogPeople
投票ボタン ☟
*
ブログ村投票
プロフィール

佐藤蓼丸

Author:佐藤蓼丸
オリジナルのブログを目指して鋭意更新中