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ナルシストの見分け方_2

エーリッヒ・フロム「悪について」紀伊国屋書店 より

時には、ナルシスティックな人は、顔の表情でそれとわかることがある。或る人にはきざっぽく、別の人には幸福そうで信じやすい、子供っぽくさえ見えるような印象を与える微笑や、紅潮の見られることが多い。往々にしてナルシシズムは、ことにその極端な例では、聖者に近い微笑とも、また狂人に近い徴候ともともとれるような特殊な目の輝きとなって現れる。


非常にナルシスティックな人は絶え間なく喋ることが多く、時には食事中もそれをやり、そのため自分は食べることを忘れ、他の人々もまたせることになる。仲間の食べ物は、自分の「自我」よりもその重要性が低いのである。


ナルシスティックな人は、必ずしも「全体としての自己」をそのナルシシズムの対象におくのではない。しばしば自分のパーソナリティの一部分に、ナルシシズムを*カセクシスする。例えば自分の名誉、知力、勇気、機智、美貌(髪や鼻というような局所にしぼることさえある)など、時にはそのナルシシズムは心配性で危険を取越苦労するような、普段自慢にならないような性質まで及んでいる


「かれ」とは誰かと問えば、かれとは彼の頭脳、彼の名声、彼の富、彼の性器、彼の良心等々であるということに、まさしくなるだろう。


さまざまな宗教の偶像は全て、人間のさまざまな一面を表している。ナルシスティックな人の場合、そのナルシシズムの対象となるものは、彼にとって彼自身を構成するこれら部分的な一面のどれでもよいのである


自分がその所有物で代表されているような人は、威厳を犯すものは我慢できても、自分の所有物に対する脅威は、自分の生命を脅かすものとなる。ところで一方、自分がその知性で代表される人にとっては、何か馬鹿なことを言ってしまったという事実は非常に彼を苦しめ、その結果ひどく憂鬱な気分に陥りやすい


しかしながら、ナルシシズムの程度が強くなればなるほど、ナルシスティックな人は失敗の事実を認めたり、他人の正当な批判を受け入れられなくなる。他人の侮蔑行為に憤慨するか、相手は無分別で無教育等々のため正当な判断ができないのだと感じるにすぎない


*カセクシスー精神分析の用語。 備給、充当ともいう。 心的エネルギー (リビドー) がある特定の観念や記憶、あるいは思考や行動に貯留されること。 たとえば愛情が特定の対象に向けられ、そこにたくわえられることをいう。⇨ ブリタニカ国際大百科事典

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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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