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性の逸脱

A・ローウェン「ナルシシズムという病い」文化・心理の病理(新曜社)より


無力な人間に対する暴力と無力な女性へのレイプ、さらに誘惑と搾取的な態度は、一直線につながっている。レイプする男や女たらしが程度こそ違え共有しているのは、性の相手に対する鈍感さ、自分の自我への過剰なのめりこみ、そして身体レベルでの性的感情の欠如である。


性的感情は、性器の興奮とは対照的に、愛として、やさしさとして、また他者の近くにありたいという熱望として経験される。このような感情が否定されると、それは欠乏感と傷つきやすさと結びついて性器の過度の興奮を促し、ついにはレイプという行為に至る


感情を保持することができないために、人は性器にかかる興奮に押しつぶされてしまうのだ


レイプする男は、リラックスした状態で女性に近づくことができないために暴力的な行為へと促され駆り立てられてゆくわけだが、それは女性に対する強度の敵対性をあらわすものである。


レイプする男は女性を恐れており、女性に対する攻撃的な力というイメージによってのみ性的に喚起される。同様にして女たらしも、性的喚起のためにあるイメージー 抗しがたいそびえたつ支配的な「恋人」の像 ーを必要とする。


いずれのタイプもナルシシズム的な行動の例証となる。なぜなら彼らは、自分の獲物を一個の人格を持った人間としてではなく、イメージとしてしか見ていないからである。他者の人間性あるいは人格を否定し、性的なオブジェとしか見ないことのうえに性的欲望が成り立っている点で、レイプと女たらしは、いずれもポルノグラフィ的光景である。


真の性的感情を一切抜きにして人間が性器的に興奮しうることは、明らかである。そうした興奮は完全に性器に限定されている。たとえば男性は、女性に近づき親密になりたいという欲望が全くなくてもー つまり愛という感情なしに ー勃起できる。ちょうど亀頭に興奮があるように頭に欲望があるというわけだ。


そうした男性にとってセックスは二つの目的に仕えるものである。ひとつはペニスの興奮(これは痛みを伴うところまでいくこともある)を解除すること、そしてもうひとつは女性を征服し、辱めることで弱々しい肥大した自我を支えることである。


確かに性的興奮という負荷を取り除けば心地よいが、そうした解除の快楽とはまったく局所的なもの、性器に限定されたものにすぎない。局所化された感情は、感情というより感覚と呼ぶにふさわしい。


性的感情は、性器的興奮とは対照的に、他の人格と触れ、それに親密になろうとする願望、そうすることができたという経験から生ずる興奮と温かさと優しさが入り混じった全身的感情なのである。全身が性的に反応するとき、クライマックスは喜悦あるいはエクスタシーの感情で染め上げられる。

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地球ネコ
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

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