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タイプ6の原点

私は子どもである。私は、全知全能への自閉的願望から抜け出せない。私はまだ、人間としての限界や、自分が無知無力であるということを自覚するための洞察力を身につけていない。私は子どもみたいに言い張る。私を救い、見守り、罰する父親がいるはずだ。その父親は、私が従順であれば愛し、讃えればご機嫌になり、言うことを聞かないと怒る。あきらかにほとんどの人は、その人格の発達において、この幼児的な段階を脱していない。したがって、ほとんどの人にとって、神を信仰することは、助けてくれる父親を信じるという子供っぽい幻想なのである。⇨ エーリッヒ・フロム「愛について」より


ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社 より

幼児期の原点

幼児期の体験の結果として、タイプ6は、父親、または祖父や教師のような父親の象徴と肯定的に一体化している。子供として、タイプ6は、父親に認められているという安全を得ようとし、それを得られなければ不安を感じた。成長するにつれ、父親との肯定的な一体感は、そこから安全を得られる地方官憲や信仰体系のような、より抽象的な父親との象徴との一体感へ移行した。


子供として、タイプ6は、要求されるどのような方法でも、父親を喜ばせようとすることで、安全を感じることを学んだ。彼らは、家庭の規律に従うことと、家族という最初の集団で従順で認められた一員になることによって、社会の一員になることを学んだ。しかし、そうする中で、彼らは価値は自分の外部に、言われたとおりのことをすれば報いてくれる権威の中に存在することを学んだ。


もし、権威に従わなければ、彼らは、その権威からも、強く活発な超自我という自分が権威を内在化したものからも来る報復を恐れる。もちろん個人々々のタイプ6は、晩年に自分の権威の象徴に反抗しもし、しなかったりもするが、他人(なんらかの方法で権威の象徴として機能している)の承認を得ることで人生に対する自分自身の位置を確定させるパターンは、彼らの性格に深く根付いた型式である。


すべてのタイプの中で、タイプ6は、健全なときは、想像しうる限り最も魅力があり、愛らしい人たちである。よく反応するその精神の性質は、彼らを気持ちよいほど遊び好きで予測できない性格にする。彼らは人から好かれたいし、また、他のどの性格のタイプにも見ることのない、人に慕われる子供のような性質を持つ。もし彼らがあなたを信用すれば、彼らは最も忠実な友人となり得る。もしあなたが彼らの忠実さを愛でれば、彼らは、自分のためと同じように、実際はそれより激しく、あなたのために戦う。


■日本人はみな、十二歳の子供だ。⇨ ダグラス・マッカーサー■

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しかし、通常のタイプ6は、権威の象徴に対して依存しすぎることがあり、それと同時に、自分の依存に反発して、これまで見てきた受動攻撃的な両価性を見せる。彼らの攻撃的側面が優位に立てば、通常のタイプ6は、最も卑劣で狭量な人間― 偏屈で権力盲従的で、偏見に満ちた人間になり得るし、健全であったときのような愛らしく人に慕われる面は、まったく姿を隠す


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そして、不健全になれば、タイプ6は痛いほど不安定さを覚え、極度に不安になり、彼らの激しく動揺する感情が自分自身にとっても、他の人たちにとっても深刻な問題を生み出すにつれて、あらゆることに過剰に反応する。もし自分の不安と葛藤を解決することができなければ、彼らは自滅的になり、彼らが非常に恐れる罰そのものを自分の身に招く


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日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

Author:佐藤蓼丸
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