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歴史が変わるとき

藤原直哉のインターネット放送局:藤原直哉の「日本と世界にひとこと」 2019年11月20日 若者へのツケ回しの終わり より


香港の革命もすごいですね。上手にやっているようにも見えますが、単なる戦略の力だけではなく、何か大きな力が働いているようにも見えますね。


今まで危機感を抱いていた人は、とりあえず足元が、なんともなく過ぎてるから、この先は波風立てずに行けば、自分が生きてる間は大丈夫なのかなという、守りの姿勢に入っていた部分が大きかったと思いますよね。それって、シンガポールもそうだし、日本もヨーロッパもアメリカも世界中気が付いたらそうなってたんですよね。


若者たちが、二百円、三百円で昼飯食べてるとき、爺さん婆さんたち、もうちょっと若い人たちも含めて、ホテルなんかでずいぶん時間かけて食べてるわけですよね。この差はいったい何なのかっていうと、単に生まれた年代の差ですよね。今からだいたい60年ぐらい前に生まれれば、誰でもそうなってたわけですよね。


特別に能力があって三千円のランチで、特別に能力がなくて三百円の昼飯ではなく、単に生まれた年代が悪かっただけで、おかしいですよね。素直に考えるとおかしいわけで、放射能の問題もそうですよね。直ちに健康に問題はないって、そりゃ年取った人たちはそうですよね。子供をつくらない年齢になれば関係ないと、今日の自分の生活と金儲けを邪魔してくれるなと、とにかくそんな感じですよね。


しかし、若者はたまったもんじゃないですよね。このまま行ったら自分たちが大人になったとき、いったいどうなるんだと・・・・財政赤字がそうですよね、異次元緩和でまき散らした金が、どれだけ先の世代にお金が回ってきたんでしょうかね?桜を見る会じゃないけど、金引っ張り出した本人たちが、自分たちで使って、飲み食いして遊んでるわけですよね。そういうことは、企業もそうですよね。


この二、三十年の役員たちが、会社を切り売りして、株主の利益だけ得ればいいと、どんどん金絞り出しちゃって、正社員がどんどんいなくなって、非正規社員になって、それがどんどんブラック労働と化して、使い捨てのようになって・・・・それから、会社の中でちゃんとした教育を受けてないんですよ、一生安心して暮らしていける能力、技能、技術を教えてもらってないんですね。それで、そのまま放り出しちゃう


それで、若者が「金が足りないな」と思うと、そこに「金の詐欺師」がやってくるわけですよ。株を買いませんかとか、博打うちませんかとか、あとなんか変なコマーシャルで、これ持つとカッコいいですよとか、スマホなんかでも・・・・なんか面白おかしくやって、とにかく金を巻き上げると・・・・だからとにかく、年配の人のカモになってますよね。それって、日本だけじゃなくて、世界的に言ってもミレニアル世代がそうだし、とくにジェネレーションX、Y、ZのZの部分ですよね。2001年の911テロ以降に物心ついた世代ですよね。


そもそも、社会が歪んでいるわけですよ。社会がブラックホール化していく中に育った世代がZですよね。それで、ツケが全部自分たちの未来に向かっていくわけですよ。しかも、彼らの中には戦争へ行って死んでしまった人もいるわけですよ。なんかおかしいわけですよ。戦前の日本でも、そういうことがあって、昭和の一桁、あるいは大正の終わりぐらいに生まれた人たちは、若いころから、軍国教育ですね。


それで、気が付いたら・・・・誰がやった戦争かといったら、年寄りが始めた戦争でしょ?年寄りが始めた戦争で、若者が死ぬんですよ。死ぬのが当たり前って教育されたわけで、その通りにやって、本当に死んじゃったとか、友達が死んじゃったとか、家族が死んじゃったとか・・・・それで戦争が終わったら、教科書全部改めて、知らん顔して、次は民主国家であります、文化国家でありますって、ぜんぜん責任取らないわけよね


死んだ人どうすんの?って話ですよね。まあ、そんなわけで、時代の窮まるときというのは、必ず次の世代にツケを回そうとするんですよ。最後は、今だけ・金だけ・自分だけで、次の世代にツケを回して自分だけ生き残ろうとするんですよ。


これが、極限まで来るときというのは、戦争に負けたときがそうですよね、それから年金が破綻したときとか、今回の一連の革命もそうですよね、こういうものは限界に達したことの証明なんですよね

独立不羈(ふき)の不在


藤原直哉のインターネット放送局:藤原直哉の「日本と世界にひとこと」 2019年11月20日 若者へのツケ回しの終わり より


1970年代の日本も、ある種そういう状況だったんだったんですね。日本ですから、本物の革命のようにはならなかったんですけど、ストライキで電車が止まって、自転車で通学するとか珍しくなかったんです。そこら中でストライキとかやってました。学園紛争なんかもありまして、「No!」を言うのは、ごく当たり前にありましたよね。


あれも、60年代の高度成長の歪みなんですよ。公害や低福祉の問題なんかがありまして、生産性向上のための、言ってみればブラック労働ですよ、それがすごい反発を招くんですよ。当時、組合もすごい元気がありましたから、大わらわでありまして、外国から支援する勢力が(左右、東西)双方ありましたから、なかなか激しかった・・・・。


あの時のこと考えても、若者への付け回しということで言ったら、若者も含めて、とりあえず金が回ればいいやということになったから、みんな黙ってしまったというのが、あの時の本音でしょうね。真面目に未来のことを考えていた人たちよりも、俺は政治に関係ないんだ要領よく企業に仕えさえすればいいっていう人たちの方が、あの時結局、最後勝っちゃったっていう気がするんですよね。


結局、金渡して黙らせちゃったというか、金渡されて黙ったというべきなのか、当時の若者も・・・・。一方、本気で未来のこと考えていた方は、一生冷や飯食わされたという感じで、でもそれ(ご都合主義)が、後になって物凄いツケになって出てきちゃったんですよ



平成の時代ですよ。70年代当時すでに、「今だけ金だけ自分だけ」の人が企業に深く関わり始めたんですよ。要領よくですね、私は学生運動にぜんぜん関わっていませんでしたと言う人が・・・・。そもそもそういう人(ご都合主義者)は哲学がなくて、そもそも自分だけよければいいや、こびへつらっても出世して金儲けできればいいという人たちが入っていきますよね。本当の意味で見識もなく、判断も出来ない人が企業の幹部に多かったんですよ。


もともと、そういう人たちが集まってできた役所や企業ですから、逆に平成以降は芸術とか、地域おこしだとか、農業だとか、文化活動なんかに「物凄く切れる」「よく仕事できる人」たちがいますよね。要するに何もないところから、自主的にチームを作って行動できる人が、ポツポツといますよね。そういう人の中には、よく聞いてみると、昔えらい苦労したという人とかがいますよね。仮に会社には入れても、銭金優先のやり方が嫌でやめちゃったとか・・・・。

失われた世代


藤原直哉のインターネット放送局:藤原直哉の「日本と世界にひとこと」 2019年11月20日 若者へのツケ回しの終わり より


今、若者の抗議行動ががすごいですよね。アメリカでもそうですよね、この三十年ぐらいは、金持ち優先の経済運営ですからね。トランプはそれを変えようとしてるんだけども、まあ、大きなところで変えようとしてるんで、一国民から見たら金持ち優先に見えるでしょうね。大きな国際戦略の部分を変えてきてるわけで、貧しい人にどんどん金撒くという政策じゃなくて、むしろ中小企業のオーナーたちが、一番支持してるんじゃないですかね。


サンダースやウォーレンは、格差を是正して若い人たちのための政治に改めようとして、絶大な人気になっているわけですよね、富裕税なんかもそうですよね。ああいうの見てると、やっぱりアメリカの若い人たちは、すごく怒ってますよね。一つの例として、奨学金がそうですよね、この奨学金は免除がされないんですね、とんでもないシステムで、一生金の奴隷にさせられるんです。それから、ミレニアル世代まではものすごい借金して、奨学金のうえに住宅ローンの借金までして、最近経済が行き詰まってクレジットカードの借金までして、しかし、カードは厳しいから、改築増築ローンまで借りちゃって、滅茶苦茶にされて、破綻したらもうそこで終わりですよね。



ジェネレーションZなんかは、そこにも行けないで終わっちゃう。一方、とんでもない超大金持ちは、エプスタインじゃないけど、やりたい放題やって、イギリスの王族まで巻き込んで、いったい何なんだと、そりゃ怒るよね。インフラ整備なんかでもそうでしょ、とにかく自分たちの生きている間だけで、後のことは知るもんかと。地球温暖化のこともそうで、あらゆる問題が、今さえよければよくて、その先の世代のことは、どうでもいいやという風にやって来たわけですよ。


若者も含めた社会的反乱が広がっている・・・・たとえば、ヨーロッパ全体では極右ですよね、若者の極右が結構多いんですよ。あれも、現状に対する不満ですよね。フランスなんかは、プロテスト運動の黄色いベストですよね。ロシアなんかでも、若い人たちが選挙で強烈にノーを突きつけますよね。それから、レバノン・・・・イラク、イランなんかでも数か月にわたって若者が抗議行動を起こしてますよね。南米のチリとかボリビアは、今でも大変な状況で・・・・。


なんか、見回してみると、すでにあちこちで「許しがたいぞ」という若者の動きが出てきてますね。だから、香港だけが特別というわけではなくて、「いいかげんにしろ!」という、未来の世代について、何考えてんだと、「ちょっと待て、やめろ!」という動きが突きつけられたわけですね。


タテ型からヨコ型社会へ

藤原直哉のインターネット放送局:藤原直哉の「日本と世界にひとこと」 2019年11月20日 若者へのツケ回しの終わり より


だから、1970年代の物凄く荒れた時代にですね、今だけ金だけ自分だけでいいやっていう結論を出してしまった社会が、20年30年経って莫大なツケを払わされたわけですね。そういうことを考えると、人口の減少とともに国力も衰えるし、財政赤字も酷いし、今まで通りにはいかないですね。同時に世界もそうで、ここから先高度成長なんて、今までの延長線上にはあり得ないし、そもそも、高度成長していいのかって話で・・・・温暖化が進んでますから、海岸埋め立てて工場作るとかが、いいってことにはならないんじゃないですか?


中国だって高齢化が進んで、今迄みたいに沢山作って売れるかっていうと、怪しいわけですよね。そうなると、安易に若者から年寄りまでみんなにカネが回るなんて、できるはずがないよね。そうするとやはり、戦略的に社会のシステムを変えていかないとならないよね。


若い人はどちらかというとヨコ型・・・・っていうか、タテ型がないよね。だからそういう人たちが、今回の香港の革命もそうですが、ああいうことをきっかけに横につながってくるとですね、横の連帯っていうものが生まれてきますよね。「我々の社会」だっていう意識が生まれてくるわけです


今の若い人たちは、大人が創った社会に、なんか、居場所もわからずただいるって感じの人が多いと思うんですけど・・・・これがなんか、自分たちの社会だって感じるときが来ると思うんですよね。それが明日来るのか、10年後来るのか分からないけど・・・・遅くても10年後には、そうなっているんじゃないですか


世代の交代って激しいですよね・・・・混乱ってだいたい、そこから起きるんですよ。交代の結果、混乱が起きることはよくあることで、明治維新のあと戊辰戦争が起きたでしょ。日本は戦争に負けたあと、戦後の混乱でハイパーインフレが本格化しますよね。それから、コーカサスなどユーラシアの民族紛争が本格化したのも、バルカン半島の紛争もソビエトが崩壊してから激しくなりますよね。


世代交代を象徴する、政治的・経済的な変化が起きた後から、恐慌だとか戦争だとか革命だとかが、拡がっていくわけですよね。そういう時にやっぱり、本当に実力のある年配の人が助けていかないと、そこで終わっちゃうわけですね。方向性とか骨格というのは若い人たちが決めればいいんですが・・・・しかし、社会というのは、形を変えるといろんな矛盾が噴出してきて・・・・それを収めていかないと、うまくいかないんですね。


明治時代だって、実際に作ったのは江戸時代の人でしょ。それから、戦後の日本つくったのは戦前生まれの人ですよね。前面に出ていたのは戦後生まれの人でも、支えになったのは戦前生まれの人です。


だから、時代の入れ替わりというのがありましても、軟着陸させるためには、世代間の垣根を超えたチームによる継承というものが欠かせないんですが、いずれにしても、これでもう、一つ結論が出たのは、若者への付け回しはもう終わりだということですよ。


財政の問題から、インフラの問題から、原子力の問題から、経済生活の問題から、命の問題から、あらゆる問題において、年配の人間が開き直って付け回しするようなことがあれば、今回の香港のように若者が怒ってちゃぶ台ひっくり返すようなことが起こって、それをまた、力で押さえつけようとするような・・・・かつて、農民からシャツ一枚でも略奪しないという軍規の厳しかった人民解放軍がですね、香港に出て行って愚連隊以外の何物でもないようなことをするわけですね。ああいう風に、変われば変わるものなんですね。途中で革命やめて、習近平一人のための共産党にしたから、あんな風になったね。


だから、今迄のツケをちゃんと払って、前に進めなければいけない ですね。そういうの考えると、これからやっぱり激しくなりますね。今までと違って動きが出てきますから、その辺はよく考えて、思慮深く行動することが必要だと思います。

倫理と、立法と、社会設計の実現

Toshikazu Sakurai「千年のうち  In Millennium」余命一年から千年を考える より


30年後に山本七平の謎をとく

1991年に亡くなった、評論家山本七平に「1990年の日本」という本があります。1985年に書かれた本で、近い将来の日本の展望を、歴史を俯瞰し、民族の長所短所、得意不得意を検討して提示する本です。いまから三十年前に、その五年後を予想して書かれた本なので、2016年という現時点での価値はゼロとなるはずです。


普通の本ならば・・。


しかし私は当時この本を読み、ある違和感を感じ、そのままになっていたことがあります。それは、この本の結論が「不断の立法と改正により、倫理をさけぶ精神主義を排し、主体的な意志をもって、民主主義を柔軟に機能しうる社会を目指す」としたことです。たしかに立派な着地点ですが、あとがきでそれが「義務」である。という強い言葉をつかっています。


この言葉の強さと、提示された方法論にギャップがあったのです。いってみれば、新鮮でもないあたりまえのことをなぜ力説するのか。こんな程度のことを、なぜ説得力のある膨大な言葉をつらねて構築してきた一書の議論の結論にするのか。羊頭狗肉のたぐいのような気がしたのですが、筆者に対する信頼がもともとありましたので暫定の評価でスルーしていました。


しかし、山本七平が「義務」という言葉を使った例をもうひとつ、私はたまたま知っています。(中略)


そのとき、Yさんが思い出を語ってくれました。あるとき、気軽に義務とはなにかという質問を山本七平に聞いたそうです。すると、強い意志をこめて義務とは人間らしく生きることです。それができるのはキリスト教しかありませんと語ったというのです。(中略)


これは、人間教である日本教徒である日本人すべてにかけられた「問いかけ・呪い」でもあります。人間(当人)の感情を原資としてすべてを二人称話し合い談合で解決することに疑問を感じない日本教徒にとって、非常に都合の悪い言葉なのです。日本教の話し合いは、言霊・情況に絶対性をおく、一種の精神主義です。


それこそが「自然な人間」であり、「自然」に生きることが日本教の倫理であり救済であり、「人間らしい生き方」として自己肯定されます。しかし、山本七平の「義務」はそれを否定します。ですから、この「のろい」に打ち勝つためには、日本教徒は絶対的にキリスト教を否定しなければならない「使命」を負うことになります。


しかしながら・・精神史の視点で見れば多神教と一神教の衝突の一種で、はるか以前に歴史的・論理的に決着がついています。それなのに、日本教は自らの実態客観的に、明白に、提示しないネガ宗教なので、いまだにこの戦い・弊害が続いています。最終的な解が平和で公正なものであるように、私は祈らざるを得ません。


義務とはまことに重たい言葉です。そしてこの本の結論の裏側にある「義務意識」とは、この本を書いた理由としては、法律は合理性をふまえた倫理の実現方法である。法律によってあらゆる現象を制御して人間・国民の行動様式を変えうる、つまり倫理の表現実現方法が法治主義である。ということだったと、ようやく私は思いいたりました。

 

立法を全員がしたがう根本とし、それを倫理を実現するための手段とするということです。口先だけの倫理実現をとなえるスローガンにするのではなく、具体的倫理実現のツールとして、王さえも従わせる人間世界の統治者としての法律を、使っていこうという主張だった。と私はようやく解釈します。


そしてこの場合、人間行動で優先して認められるのは倫理にもとづいた合法的行為、遵法行為のみです。その前では資本主義共産主義独善的ドグマ因習も、すべて優先順位が与えられなくなり倫理にもとづかないあらゆる行為がコントロールされうるということなのです。


なるほど、山本七平はこれを明示しなかったわけです。ここまで1985年に書いてしまえば日本の社会では、非現実的観念論者に見られますし、今でもそうでしょう。(中略)


つまりバーチャルな世界をモデルとして設計し、シミュレートし、それを実現できる法を確立し、全員の同意を得て運用することで、「望ましい」社会を実現するのです。方法論としてこれしかないでしょう。整理しましょう。山本七平の隠された主張は

 ・倫理を選択する
 ・その倫理を実現した社会を想定する
 ・その社会を実現するために立法し、
 ・すべての人の同意で倫理を実現する。(中略)


基本的には「すべての人が人間らしく生きる」ことがこの場合の倫理・根本思想の目標です。その前には統治のシステムや経済や過去の因習などは、(現実として)無視できませんが、そんなものは、法によって制御されうる対象であり、副次的なものでしかないのです。

「個別の情況など、正統性を持たないのです」。

そのような世界はまだどこにも完成したことがないのかもしれません。それでもはるか前にこのゴールは示され、人間社会の進歩というものすべてが、これと関係をもちます。そのことに私は、まだまだ続く人類の苦悩と、その先の希望を、同時に見る思いがします。新しい発想の新しい社会。それがやがて過去になる世界が、ありえます


歴史は終わってなどいません。2016/10/13 T.Sakurai 

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日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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