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「病人」のたちあがり方

講座・差別の社会学2「日本社会の差別構造」弘文堂『近代日本における病者の差別』成田龍一 より


「何人にも医学思想を養成せしめん」とし、「素人の医学智識を開発」することを目論む医学博士、糸左近の「家庭医学」を繙いてみよう。


「家庭医学」は「医療」のもとで「病気」を記述し、さまざまな知識の断片を与えるが、ここには不在の主体としての「病人」が想定され「病人へと照準が合わされる。通俗医学書においては、「医療」と「病気」との関係から「病人」が立ち現われ、不在のままふるまいはじめる。


こうした「病人」のたちあがり方が「病人」への差別と排除を創出することとなるが、第一に「病人」が「異常」を持ち、病気の原因そのものとなること、第二に「病人」は「病気」への警戒を怠り、不注意(あるいは無知)であったことが論難される


異常」を持つことそれ自体で、「病人」は排除と差別の対象とされる。さきの吉岡「家庭衛生」は「伝染病」を論じ、「一家の悩みであるばかりでなく、実に国家の災厄」「病者はその業を廃し、家族はこれが看護に従事して働くべき暇を潰すから、生産力を減ずる」と述べ、「家内」と「国家」に「災厄」をもたらすものとして「病人」を語る。「病人」は関係性のなかで浮上するのであるが、その関係性にとっての「異常」- 負の要素として認定され扱われる


とくに「伝染病」の場合は事態は深刻にとりざたされ、吉岡は続けて「病毒が直接に吾々の身体へ入り込んで感染するのであるから、少しでも不潔と認るものは、必ず是を吾々の敵だと看破して、一切身に近づけぬやうにしなければならない」という。敵として扱われるのは、実在としての「病人」である。


一般論としても「伝染の経路」は「患者及び保菌者の排泄物」が多いと取り沙汰されるが、慢性伝染病の代表格たるトラホーム、結核、性病の記述は、それぞれの「病状」を持った「病者」を実体化したうえで「病者」をことごとく標的とする


遠山は「結核征伐の歌」を紹介するが、10番の歌詞は「結核菌は病人の/はきだす痰の中にあり」と歌いだされ、11番は「ことに病者に注意せよ/軽きは他目にわかぬゆゑ/咳せぬ程の人にても/対座は四尺をは隔つべし」とされている。


コレラのようにパンデミーをもたず、いつ感染したかがわからず、徐々に進行するため日常的な注意を必要とするが、警戒を要する対象として「病人」がことあげされる

「敗者」としての病人

講座・差別の社会学2「日本社会の差別構造」弘文堂『近代日本における病者の差別』成田龍一 より


「家庭医学」はトラホームは「下等社会の住んでゐる不潔な貧乏街に流行」し「野蛮と不潔が大好物」であり、トラホームへの罹患の有無は「以って文野を卜とするの筮竹」と述べている。


トラホームは、当初は小さな「異常」を感じることにはじまるが、そのまま放置することによって進行、ついには失明へといたるため、「異常」を感じたときには、ただちに「医療」におもむき、「全治」するまで療治しつづけることが肝要である、と「家庭医学」はくり返す。


「新鮮な空気中に住み、塵埃及び煙を避け」「手巾手拭及び手は清潔にして爪垢の溜まらぬやう」にすることを説くが、清潔・衛生の実行と「医療」の価値化が説かれている。


換言すれば、トラホームに罹患した者は、清潔・衛生の価値を知らず、「医療」を継続して供受しない者と非難されるー「実に衛生思想のないもの程、下等人物はあるまい」。


「病人」はこの論理によって、不潔ー 非文明とされ、かかる点から差別をされることとなる。「麦粒腫」=「ものもらひ」は「垢」が眼瞼にうつり腫瘍をつくり出し、実際に「乞食」に多いと「家庭医学」は述べる。そのため「家庭医学」は、「されば、ものもらひに罹る者は乞食同様な不養生をなしたからだと自ら愧じねばならぬ」と「ものもらひ」患者を差別排斥する。


下等社会」―「不潔」―「病人」が関連させられ差別されるのだが、こうした記述は「家庭医学」をはじめとする通俗医学書のいたるところに散見される。


「家庭医学」では、こうして、「実に衛生思想のないもの程、下等人物はあるまい」といい、「嗚呼益々発達せしめたきは衛生思想と富の程度である」といい、衛生の価値化と「病人」の差別化が併行的におこなわれる


しかも、こうした」「下等」という集団的表象とともに「病人」の個人的能力の欠如が入り組みながら論じられ、「下等社会」「下等人物」と、摂生ができず自己規律のもちえぬ人物が「病人」として見下される


通俗的医学書をはじめ、さまざまな回路が明快に「病気」の原因を説明し、「予防」を講ずれば講ずるほど、「病人」は、自己の努力や知識や実行力が行き届かない者として差別されることとなる。身体の理解可能性が強調されるとき、「病人」は、自らの身体を理解することを怠り、あるいは、失敗し、その結果が「病気」として体現された身体を持つものと認定されてしまうのである。

人間の国有化

講座・差別の社会学「差別の社会理論」弘文堂ー米本昌平『科学の言説と差別』2、ナチス社会=人間の国有化 より


そもそもナチス国家というのは、実に異様なものであった。言わば国家は、特定の人種を一人でも増やし、他は抹殺するか奴隷的苦役を課すための選別装置でしかなかったのである。


ヒトラーの思想を煎じ詰めれば、国家は生物学的人種が構成する民族共同体であり、常により広い生存権を求めて多民族と戦闘状態にある


ヒトラーの思想の核をなす、乱暴な社会ダーウィニズムアーリア人至上主義などは、19世紀末から20世紀初頭の諸思想に起源を求めることができる。


ヒトラーは「我々は、人間を国有化するのだ」といった。この表現こそ、ナチス社会を貫く思想のエッセンスだと言ってよい。人間を国有化しようとしたからこそ、国家は生まれてくる人間の遺伝的質に異様に神経を使い、全国民の健康を管理する強力な保健政策を行ったのである


すでに1935年のニュルンベルク党大会で決まった人種諸法で、ドイツがドイツ公民とそれ以外の人間との二重国家になっていた。この法律は「帝国公民法」と「血統保護法」と呼ばれるもので、ドイツ国民は生物学的なドイツ人であらねばならず、ユダヤ人とドイツ人の結婚はできないことになった


ナチス時代には、アメリカのようなIQ問題は存在しなかった。アーリア人が最良であることは、証明不要の公理であった。つまりナチス・ドイツで科学に与えられた役割は、科学によってドイツ人の優秀性を実証してみせることではなく、ヒトラーのイデオロギーを壮大な科学的表現に言い替えることであった。こうしてドイツの生物学・人類学・民俗学などは、アーリア人とユダヤ人との形態学的な差異を実証するために大々的な再編をうけた。その集大成がナチス人類学である。

ナチス人種理論

講座・差別の社会学「差別の社会理論」弘文堂ー米本昌平『科学の言説と差別』2、ナチス社会=人間の国有化 より


ナチス人種理論では、ヨーロッパの白人は、三系統六種に分類され、その中で北方ゲルマン人は、長頭・とがった顎・狭い鼻・金髪・長身が特徴とされた。これも19世紀以来の多様な人種理論の寄せ集めである。


35年以降、さまざまな理由で血統証明書が得られなかった人や、戦線の拡大で新しくナチスの占領下に入った人たちにとっては、このような外見的特徴は、そのまま本人の運命が決まってしまうことでもあった。


人種政策の実働部隊である親衛隊人種植民局は、多数の人種検定員というテクノクラートがいた。そしてナチス人類学の基準にあてはめて、多くの人々の運命を裁断したのである


ナチズムを体現している組織は親衛隊であった。それは人種的エリートとされたばかりではなく、断固たる意志で最も困難な任務も行われなければならなかった。


それは武装親衛隊として第一線に出るだけではなく、秘密政策としてユダヤ人の絶滅収容所の運営も、まったく逆の秘密組織である「レーベンスボルン」の業務も親衛隊が担当した。レーベンスボルンは、ドイツ人私生児や新占領地域からゲルマン的形態だとして人種間定員が誘拐してきた乳幼児をゲルマン的な名前を付けなおして、未来のドイツ人集団に組み入れようとするものであった


その上に、親衛隊長官ヒムラーは、ナチス・イデオロギーを「実証」するために私的なアカデミー「アーネンエルベ」までもっていた。ヒムラーは、新たな占領地でユダヤ人の生首を密かに集めさせ、その頭蓋骨を測定してユダヤ人の劣等性を「確認」しようとした


このような、人種問題から頭蓋容量へ執着する態度は、19世紀の頭蓋計測学の直系である。そして、このユダヤ人の頭蓋骨収集は、45年のニュルンベルク裁判の一つで、その訴追理由の一つにあげられるほどの規模のものだったのである。

一元論的な人間解釈

講座・差別の社会学「差別の社会理論」弘文堂ー米本昌平『科学の言説と差別』2、ナチス社会=人間の国有化 より


人間行動の遺伝決定論は、第二次世界大戦後のナチズムの封印作業の一貫として、繰り返し否定されてきた。ただし、ナチズムの封印作業の主題は政治的なものであり、疑似科学的なイデオロギーを否定する作業は、傍系であったといってよい。


国連で行われたのは、1948年の第三回総会で採択された世界人権宣言である。その主眼は、基本的人権の侵害の拒否と、「何人も人種・皮膚の色・性・言語・宗教・政治的意見・出身国・社会的門地その他で差別されないこと」に尽きるといってよい。


ナチスの人種差別理論の方はどこからみてもまったくの非科学的産物であったため、これを否定する作業は「人類に対するユネスコ声明」として行われた。この声明は、八ヵ国12人の人類学者、社会学者、社会心理学者などの間に回覧され、1950年にユネスコ本部で採択されたものである。


人間は人間としてホモ・サピエンス一種である」とする象徴的な文章から始まり、「精神的な特性で人種を区別できない」「現在の科学では遺伝的差異が文化的差異の根拠だとする主張を正当化するものは何一つない」という表現は、明らかにナチス人類理論を念頭に置いたものであり、ナチス時代にユダヤ人を亜人間と呼ぶような状況を許してしまったことを強く戒めたものである


戦後長い間、自然科学者や知識人の間では、遺伝決定論的人間観に連なる発言に対しては、敏感にこれを否定しようとする精神が共有されてきた。しかし、とくに60年代半ば以降のアメリカでは、このような精神的緊張崩れてきている


IQ問題の流れでいえば、69年に、カリフォルニア大学のアーサー・ジェンセンが「IQと学業成績をどれだけ増進させられるか」という論文を書き、それまでの研究をレビューする形で黒人のIQ値が低いことを環境要因だけで説明する立場を拒否したのである。


この時代、他にも、染色体のXYY型の男性は暴力犯罪を犯しやすいことを統計を用いて示そうとする研究や、動物行動学者のE・O・ウィルソンが大著「社会生物学」を著し、そのなかで人間行動の遺伝決定論としか読めない表現をした

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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

Author:佐藤蓼丸
私たちは体においてよりも、心において不健康である。⇨ ラ・ロシュフコー

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