人間の国有化
講座・差別の社会学「差別の社会理論」弘文堂ー米本昌平『科学の言説と差別』2、ナチス社会=人間の国有化 より
そもそもナチス国家というのは、実に異様なものであった。言わば国家は、特定の人種を一人でも増やし、他は抹殺するか奴隷的苦役を課すための選別装置でしかなかったのである。
ヒトラーの思想を煎じ詰めれば、国家は生物学的人種が構成する民族共同体であり、常により広い生存権を求めて多民族と戦闘状態にある。
ヒトラーの思想の核をなす、乱暴な社会ダーウィニズムやアーリア人至上主義などは、19世紀末から20世紀初頭の諸思想に起源を求めることができる。
ヒトラーは「我々は、人間を国有化するのだ」といった。この表現こそ、ナチス社会を貫く思想のエッセンスだと言ってよい。人間を国有化しようとしたからこそ、国家は生まれてくる人間の遺伝的質に異様に神経を使い、全国民の健康を管理する強力な保健政策を行ったのである。
すでに1935年のニュルンベルク党大会で決まった人種諸法で、ドイツがドイツ公民とそれ以外の人間との二重国家になっていた。この法律は「帝国公民法」と「血統保護法」と呼ばれるもので、ドイツ国民は生物学的なドイツ人であらねばならず、ユダヤ人とドイツ人の結婚はできないことになった。
ナチス時代には、アメリカのようなIQ問題は存在しなかった。アーリア人が最良であることは、証明不要の公理であった。つまりナチス・ドイツで科学に与えられた役割は、科学によってドイツ人の優秀性を実証してみせることではなく、ヒトラーのイデオロギーを壮大な科学的表現に言い替えることであった。こうしてドイツの生物学・人類学・民俗学などは、アーリア人とユダヤ人との形態学的な差異を実証するために大々的な再編をうけた。その集大成がナチス人類学である。