無為にして為さざるは無し
『老子』でいう「無為」とは、意図や意思、主観をすべて捨て去って、「道」(天地自然の働き)に身を任せて生きているありようを意味しているといえます。『老子』はこの「無為自然」を理想のあり方としました。⇨『NHK 100分de名著』2013年8月号より
マスコミに載らない海外記事「Covid-19と、今後到来するものについての思い、九項」2020年3月17日:ケイトリン・ジョンストンより
答えは実に単純だ。なぜなら、今まで、人々が苦しんできたのは、階級を基盤に差別しないウイルスのおかげで悪化させられたわけではないのだから。ユニバーサル・ミュージック・グループのCEOが、Covid-19入院で学んだように、
政治家や億万長者連中も他の人々同様、このウイルスで、彼らの命や愛する家族も失いかねないのだ。不要な人間の苦しみを起こさないことだけでは、彼らが、人々を押しつぶすのをやめさせるのに十分ではなかった。変化をもたらすには、連中の戸口に実際、出現しなければならなかった。
私は長い間、もし世界が一分間昼寝できれば素晴らしいだろうと思っていた。
資本主義は、忙しさを賛美することで成立している。我々は、自宅で一体いくつの仕事ができるか、一体いくつの仕事が単なる時間つぶしに過ぎないのか、一体いくつの仕事をまとめられるか、無しで済ませられるか、一体いくつの仕事が実際有害か見つけだそうとしているのだ。
かなりの種類の仕事が、食糧や住宅や医療には全く無関係で、もっぱら、人々には想像力が不十分で、我々を再び偉大にするには、がまの油プラシーボ薬品が必要だと説得するのが仕事なのだ。宗教は、そうした仕事の一つだ。広告やマーケティングや、大半のマスコミもそうだ。もし我々が経済を再設計するなら、そうしたものを全て無くし、あらゆる独創的労働が健康なものに向かうようにできるだろう。
だが我々全員、このような消耗することを、いつもしていることから、大きな休養が必要だ。家賃や光熱費を支払うことができないかも知れないという心配の中、こういうことをするのは理想的ではないが、私のママが、いつも言う通り、自分で変えられることだけを心配し、自分が今変えられないことは放っておこう。
当面、請求書は、ほうっておこう。我々は何とか解決するだろう。我々は常にそうしてきたのだ。だが今のところ、皆様は安全で、必要とする全てをお持ちだ。それに気付いて頂きたい。少なくとも当面大丈夫だと確信できたら、この機会に、できるだけリラックスするようにしよう。
何か漫談でも見て笑い、youtubeでカラオケを何曲か歌い、良く昼寝し、シャワーを浴び、風呂に入り、食事を味わい、呼吸を楽しみ、あくびし、ストレッチし、抱き締め合い、全てを振り払おう。食器棚の片付や楽器演奏の練習や、読書や、時間ができたのだから、本当にすべきだと決めた洒落たことを忘れよう。動物本能を先行させ、あらゆる、すべきこと、すべきでないことから脳に休養を与えよう。全く何もしなくて結構だ。無為を楽しもう。