人間の商品化
エーリッヒ・フロム「愛について」紀伊國屋書店ー第3章『愛と現代西洋社会におけるその崩壊』より
愛が、成熟した生産的な能力だとしたら、どんな社会に生きている人でも、その人の愛する能力は、その社会が一般の人々に及ぼす影響に左右される。
現代西洋社会における愛について論じるということは、すなわち、西洋文明の社会構造とそこから生まれた精神が、愛の発達を促すものであるかどうかを問うことである。
そして、そのように問うということは、すなわち、答えが「否」だということである。
西洋社会を客観的に見てみれば、兄弟愛・母性愛・異性愛を問わず、愛というものが比較的まれにしか見られず、さまざまな形の偽りの愛に取って代わられていることはあきらかだ。そうした偽りの愛こそ、じつは愛の崩壊の現れなのである。
資本主義社会は、一方では政治的自由の原理に、他方では、あらゆる経済的・社会的関係を、すべて調整するものとしての市場原理にもとづいている。
商品市場は商品の交換条件を決定し、労働市場は労働力の売買を調整する。有用な物も、有用な労働力や技能も、商品化され、暴力の行使や詐欺によることなく、市場の条件によって交換される。
例えば靴は、どんなに有用で必要なものだとしても、市場において需要がなければ、なんの経済的価値(交換価値)もない。
資本家は労働力を買って、自分の資本の有効な投資のためにそれを用いることができる。
労働者は、飢え死にしたくなければ、そのときの市場条件にしたがって、労働力を資本家に売らなければならない。
このような経済構造は価値体系にも反映している。資本家は労働力を意のままに動かす。蓄積された物品は、生命を持たないのに、労働力や、人間の能力や、生きているものよりも、高い価値を持つ。
これが、資本主義が始まって以来の基本構造であった。これはいまだに現代資本主義の特徴でもあるが、多くの要因が変化したために、現代の資本主義は独特の性質を持ち、現代人の性格構造もその深刻な影響を受けている。