疎外された人間
エーリッヒ・フロム「愛について」紀伊國屋書店ー第3章『愛と現代西洋社会におけるその崩壊』より
資本主義が発達した結果、資本はますます蓄積と集中の傾向をつよめている。大企業はますます巨大化し、中小企業はどんどんつぶれていく。企業に投下された資本の所有者は、その企業の経営からますます遠ざかってゆく。
何万、何十万という株主が企業を「所有」している。一方経営陣は、高給をもらってはいるが、その企業を所有しているわけではない。そしてその経営陣は、最大の利益をあげることよりも、企業の拡張や、自分たちの権力の拡大に関心を抱いている。
現代資本主義はどんな人間を必要としているだろうか。それは、大人数で円滑に協力し合う人間、飽くことなく消費したがる人間、好みが標準化されていて、他からの影響を受けやすく、その行動を予測しやすい人間である。
また、自分は自由で独立していると信じ、いかなる権威・主義・良心にも服従せず、それでいて命令には進んで従い、期待に沿うように行動し、摩擦を起こすことなく社会という機械に自分を進んではめ込むような人間である。
無理強いせずとも容易に操縦することができ、指導者がいなくとも道から逸れることなく、自分自身の目的がなくとも、
「実行せよ」「休まず働け」「自分の役割を果たせ」「ただ前を見てすすめ」といった命令に黙々と従って働く人間である。
その結果、どういうことになるのか。
現代人は自分自身からも、自然からも疎外されている。現代人は商品と化し、自分の生命力をまるで投資のように感じている。投資である以上、現在の市場条件のもとで得られる最大限の利益をもたらさなければならないということになる。
人間関係は、本質的に、疎外されたロボットどうしの関係になっており、個々人は集団に密着していることによって安全を確保しようとし、考えも感情も行動も周囲と違わないようにしようと努めるが、それにもかかわらず誰もが孤独で、孤独を克服できないときにかならずやってくる不安定感・不安感・罪悪感に怯えている。