ストレス嗜癖
ストレスに関して、今日多くの関心が払われるようになりました。私の経験によれば、ほとんどすべてのストレスはコントロールの幻想から生じます。
別の講演旅行の際、飛行機で隣り合わせた男性と話す機会がありました。私が医学校で講演する予定だと説明したところ、彼はたまたまその学校に勤める人で、生理学を教え、ストレスのワークショップも持っているということでした。
「私たちは同じような仕事をしているようですね」と私は言いました。「私たちはストレスでいっぱいの仕事をしています。明日は、もっとストレスの少ない、ストレスから解放されたシステムの選択について話すつもりなんです」
彼は吹き出して、こう言った。「そんなの不可能ですよ」
「ストレスから解放された、もっと住みやすいシステムはお気に入りませんか」と私は尋ねました。
「そうですね」と彼は言いました。「どんなシステムにもある種のストレスは必要なのですよ。時にはシステムにとって良いものでもあるのです」。
私はびっくりしました。「いったいどうしてそんなことが信じられるんです」。
「ストレスは弱者を淘汰し、適者を生存させますからね」と彼は言いました。
私にはこれ以上言うべき言葉がありませんでした。ただ、「本当に?誰が先に死ぬか統計的にわかってでもいるのですか」と言うだけでした。
次の日、彼は私の講演にやって来ませんでした。自分のシステムが宇宙の中心にあり、それが存在する唯一のシステムであるという彼の信念は、歪んだ思考の産物です。
彼は、そのストレス必要説の幻想を維持するために、事実さえも歪めなければならないでしょう。自分がそのために殺される間際になっても、彼は自分の説に固執することでしょう。コントロールの幻想によって方向づけられる社会は、ストレスを正常なものとして受けとめます。
