蓄えられない富
https://grsj.org/about.html「ゲゼル研究会」
フレデリック・ソディ「デカルト派経済学」より
生計の手段は、農作業による太陽エネルギーの毎日の収入から得られます。 生活の付随品である衣料や家屋、燃料、快適品や贅沢品はその大部分が過去の地質時代から保存されてきたエネルギーの資本蓄積による収入の増加によって得られています。
生命は、一瞬一瞬、連続するエネルギーの流れに依存しているので、生存を可能にする必需品としての富はストックとしてよりもむしろフローの性質を帯びているのです。
こうした回答は社会科学や政治哲学にとって最も重要なものですが、現行の経済体制にはほとんど応用されていません。 というのも、こうした体制は富と負債とを、いい代えれば、社会の富とその個々のメンバーの富とをまったく混同することで築かれているからです。
社会の富はその収入であり、すなわち前述の分析によれば、生存目的に利用可能なエネルギー収入とされます。 これに基づけば、現存の知識で利用されうる形状で、社会の生命にとって必要なすべてが維持可能です。
このフローを相当程度に溜めたり蓄積したりすることは不可能なのです。 正確には、多額の費用をかければ川をせき止めダムを造ることはできます。 しかし、たとえ使われなくても溜められた水は蒸発して少しずつ消えてしまいます。
同じように、条件はいっそう不利になりますが、電気エネルギーを蓄えることもできます。 しかし、富を国家規模で一日分でも蓄えようとするのは、世間が一日に必要とする電力を賄う電池を考えるようなものです。
実際には自然は太陽エネルギーを石炭として地質年代を不可欠とするプロセスで蓄えてきましたが、我々がしているのは、より楽なその取り崩しであり、またそれが我々にとってほとんど役立たなくなる前にフローに変換することです。
繰り返しますと、短期的には、このフローはいくつかの実際の商品に姿を変えるかもしれませんが、食品の場合は腐り、家屋は絶えず修復しないと朽ち果て、鉄道、道路、公共建造物、工場、岸壁、船舶など、我々の文明の有形資産はすべて同様なのです。
すべてのものが一様に複合減少のプロセスに準じていて、それらの維持には絶え間なく増大する新たな富の年間経費を必要とし、それもまた科学の進歩により急速に時代遅れになっていきます。
こうした蓄積資産は蓄財としてではなく、よくて利用可能なエネルギー収入からの富の維持や増加における補助、ないし付属品として分類されるわけです。 富は収入であり、そ_れ_は_蓄_え_ら_れ_な_い_のです。
お金の賞味期限
ルドルフ・シュタイナー「シュタイナー経済学講座」筑摩書房 より
■古くなった貨幣は贈与する
さて、「貨幣は古くなるものだ」と、仮定しましょう。
みなさんの手元に、1910年鋳造の硬貨と1915年鋳造の硬貨があるとします。1915年に鋳造された硬貨は、1915年に国民経済的な貨幣として誕生し、合理的な取扱いによって生産交換物になります。この貨幣は、一定期間ののちに価値を消尽しなくてはなりません。この硬貨は、「1940年に国民経済的な流通価値を消尽する」としましょう。
私がいま述べた数字はあくまで便宜的なもので、ことがらを明瞭にするためだけのものです。その硬貨は、1915年から1940年のあいだだけ有効とするのです。
<経済プロセス>のなかで、貨幣が25年後に価値を消尽するようにすると、1910年に鋳造された硬貨は、1935年に無効になります。私は貨幣を所有することによって、一種の年齢を自分の貨幣に付与します。1910年に鋳造された貨幣は、1915年に鋳造された貨幣より老いており、1915年に鋳造された貨幣よりも、早く死期を迎えなくてはなりません。
「それは、単なる仮定だ」と、みなさんはおっしゃるかもしれません。けれども、そうではありません。いま私が述べていることは、現実的なことなのです。<経済プロセス>自身も、そのように要求しているのです。<経済プロセス>自体が、貨幣を古くするからです。
貨幣が古くならず、1910年に鋳造された貨幣なのに、1940年になっても、まだ物が買えるなら、それは「仮面」をかぶっているのです。実際には、その貨幣で買っているのではなく、「想像上の貨幣価値」で買っているのです。
貨幣の発行年が意味を持つなら、貨幣は財布の中で古くなり、死期を迎えます。発行年が意味を持つことで、貨幣は突然生き生きとし、貨幣に価値が刻印されるのです。
今年発行された若い貨幣なら、強い決済になります。私が、三年の期限を見込んだ事業を起こすとしましょう。もし真新しい貨幣を使うとすれば、私は愚鈍な経済人でしょう。短期間だけ貨幣が必要なら、私はもっと弱い貨幣を調達します。こんな風にして、貨幣の年限が役割を演じるのです。
「自由放任のままではこうはならない」ということを、考慮してください。貨幣を野生のままにしておいたのでは、ものごとを阻害し、不健全な国民経済状態を引き起こすだけです。
皆さんが貨幣を飼いならし、貨幣に年限を与え、「若い貨幣が融資されれば、それは古い貨幣より価値があるのだ」と考えることに習熟すると、貨幣が<経済プロセス>内のポジションを通過するとき所有するはずの現実的価値を、貨幣に刻印することになります。
消費の歯車
自由貿易により国際間の競争が’激化し、生産者はコスト、ひいては人件費を削減する。少数の富裕層はひたすら貯蓄に励み、大部分の貧困層は消費できない。このため『消費の歯車』が止まり、資本主義は崩壊する。地球の資源や食料や物資などの物が有限で、人間の欲望が無限なら、それにより存在する貪欲な資本主義が崩壊するのは必然だ。⇨ラビ・バトラ(経済学者)
ラビ・バトラ「貿易は国を滅ぼす」1993年 光文社/本書を読む前に・小室直樹 より
日本人にとって、忘れてはならないことは、日本は自由貿易によって利益を得る国になってしまった、ということである。
自由貿易によって不利益をこうむる国も多々あるが、その不利益のこうむり方も、じつは種々さまざまであって、産業構成によって異なってくる。各産業の国際競争力は一様ではないからである。
だから、いちばんいいのは、自由貿易で利益をこうむりつつも、この事実をけっしてみとめず、かくのごとくに外国を説得してしまうことである。
そのいちばん成功した例が、19世紀におけるイギリス帝国主義イデオロギーとしての自由貿易論であるが、その当時は、イギリス産業が世界最強であったから、自由貿易によって最大の利益を引き出しうるのは英国であったのである。
このような情報操作が重要であることに関しては、現在も19世紀も同様である。
現在(1993年)日本の未曽有の大繁栄も、自由貿易という前提のもとにおいてのみ可能であり、自由貿易が否定されたならば、電源をとめられたテレビのオーケストラみたいに、一瞬で消えてしまうということを、どうしても実感できない。
このことをきれいすっかりと忘れてしまって、日本の経済力は世界一だとか、今や日本の技術力は欧米先進国を追い抜いてしまったとか言ってうつつを抜かしているのは、まったく、真夏の夜の夢というか、槿花一朝の夢というか、醒めてしまえば、まことにはかないものである。
このような現状認識力において、日本人は戦前と少しも変わっていない。社会組織がどんなに変わろうとも、エトス(行動様式)においては同一なのだ。⇨ 小室直樹「アメリカの逆襲」光文社 1980年
ところがである。アメリカは決意変更して自由貿易を止めてしまえと本格的に論ずる労作が出現した。本書は、保護主義のバイブルになるであろう。杞憂が実現して天がくずれ落ちたような話ではないか。
衰退の真犯人
ラビ・バトラ「貿易は国を滅ぼす」1993年 光文社/本書を読む前に・小室直樹 より
ラビ・バトラは断ずる。アメリカ以外の諸国はすべてアメリカの自由貿易により利益を受けている。アメリカ衰退の犯人は自由貿易である。だから、アメリカは自由貿易を止めて、競争的保護主義を国策とするべしというのが結論である。
そうすれば、アメリカ経済は復活するであろう。競争的保護主義によれば、アメリカ経済の病気はすべて治癒される。極端な富の集中はべつだが。
となると、日本、台湾、香港、シンガポールのような諸国、アメリカの自由貿易によって利益を貪ってきた諸国は金切声をあげるだろう。⇨ ラビ・バトラ「貿易は国を滅ぼす」
アメリカが自由貿易主義のリーダーになったのは、そう新しいことではない。英国帝国主義の座を奪えるほど強くなったので、保護貿易論者であった出生の秘密を隠して、自由貿易のチャンピオンになりおおせてしまっているのだ。
そこでもし、輝けるチャンピオンの座から引きずり降ろされるような大敵が現れたらどういうことになるだろう。もうなりふり構ってはいられない。出生の秘密などかなぐりすてて本性丸出しに、地位の不安に怯えた重症のノイローゼ患者のように、幼児体験への退行をおこして、偏執狂的エネルギーをもって保護貿易に回帰するかもしれない。⇨ 小室直樹「アメリカの逆襲」光文社 1980年
たいがいの日本人は、日本はアメリカの外圧によって、仕方がないから自由化するんだなんて思い込んでいるとしたら、それは、とんでもないことである。日米摩擦を避けるために自由化するんだということよりも危険な思想はない。ある日突然、アメリカが、もう自由貿易はやめましょう。お互いに保護貿易で行きましょう、なんて言ってきたらどうする。日本の息の根が止められる日である。
本書は、理論的というよりも歴史的であり、示唆に富む。アメリカ経済が開放的となり、自由貿易にふみ切ったのは1973年であるが、爾来、アメリカ経済は急坂を転がる巨石のごとく落下し、貿易(経常)赤字は急積し生活水準は低下し貧富の格差は増大した。
著者は多くの資料を駆使して、このことをデモンストレートしてくれる。アメリカの製造業が外国、とくに日本との競争に敗れて壊滅したからである。もって他山の石とすべし。
自由貿易について
余命一年から千年を考える「千年のうち」Toshikazu Sakurai より
自由貿易は、化石燃料依存経済の最終形態として、外部からの略奪物資をとめどなく都市にも農村にももたらす。
そして、すべてを不当競争にさらして、小規模生産者を圧倒・倒産させ、いわば「国ごと消費都市」にして、事実上屈服させ、間接的に化石エネルギーの奴隷にしてしまう。そのため、資源産出国でなければ、その国の人口を減らす効果がある。
簡単に言えば、グローバル自由経済は、略奪経済による生存基盤の破壊、生存権の侵害の完成にあたるであろうし、早晩、崩壊する。
自由貿易は基本的に生産手段をもち、それが国際的略奪品よりも価格と質で上回らないと生活できない体制である。
資源・労働力を略奪する相手と、金融によって未来価値を先取りする相手の二つに打ち勝ち、乗り越えないと、生産手段を奪われて、労働時間の切り売りで生活を縮小再生産するのがやっとの人口減少社会に転落するかもしれない。
自由貿易への参加は、あくまでも長期的国益にかなうかどうかが判断の唯一の基準であり、それ以外は、二の次でもよかろう。
そしてまた、現在の先進国は金融操作国で、資源・食料輸出国を間接支配できる。富める国は、二重に有利な立場から、そうでない国の富を収奪可能で、ためらいなく実行されている。
たとえばこんな国際環境の中で「日本は、どうせ旧敵国のステゴマで、歴史的にも文化的にも共通点のない、利用して切り捨ててもあとくされない、どうでもいい国だ」と見られたらどうなるであろうか・・・。2013.07.23