大量消費の恐怖
ジェレミー・リフキン「エントロピーの法則・21世紀文明観の基礎」祥伝社 より
■自然の生産を上回りすぎる消費の恐ろしさ
経済学者たちがまだわかっていないのは「エントロピーの法則」とは『不足』を示す基本的な物理的座標であるという点だ。『予算の均衡』つまり、社会の消費と生産のバランスについての議論をみれば、これくらいはっきりしていることはない。
社会が自らの生産速度以上に消費し続けるのは不可能だということは一般的に認められているが、経済学者は相も変わらず、最終的な予算の均衡が社会の内部にあるのではなく、社会と自然の間にあるのだという点を無視しているようだ。だから、経済活動が行われるにあたって最も影響力の強い環境因子というものを理解すれば、どうして在来の経済理論が赤字問題を解決できないのかが、よくわかるようになるはずだ。
予算を均衡の取れたものにするためには、社会が自然の生産速度以上に消費しないことが必要だ。生態系は、できるかぎり安定した状態に近いかたちで作用するのが、最も有効なのだ。速度が、生産と消費の間における相対的バランスを操作するシステムの能力と釣り合ってはじめて、低エントロピーから高エントロピーへの転換過程(スループット)が完全に維持されるようになる。
廃棄物が生じ、吸収され、そして再び利用するためにリサイクリングされる。こうしてこそ、バランスの取れた生態学的サイクルが保たれうる。熱力学的に言えば、100パーセント再生利用することはできないが、自然の生態系は生産と消費の間で、釣り合いの取れた『予算』という理想的な状態に近いものとなるのである。
経済活動とは、低エントロピーのインプットを借り入れ、それを一時的な効用に変換し、そして最終的に高エントロピーというかたちで生態サイクルの中に戻し返すというように、人間が単に生態サイクルに介入している行為にすぎない。
もし、社会が低エントロピーの物質・エネルギーを借り入れて、それを効用に変換し、自然自らの変換過程をはるかに超えた速度で廃棄物に変えてしまえば、赤字が増えるのは必定だ。
そうなると、吸収され、また再生利用される速度以上に廃棄物がそのシステム内に投げ込まれ、環境に無秩序が高まるだけでなく、社会に対して外部費用の増加をきたすと同時に、使用可能な物質やエネルギーは、自然の再生速度以上に枯渇し、自然における不足の度合いが高まって、社会に対する供給費用が増加することになる。
むろん、自然の生産速度を超えない程度に消費を抑えるなどして、社会が自然との予算のバランスを図ったとしても、増大する赤字を食い止めることはできない。せいぜいできることといったら、赤字の増加率を防ぐことぐらいでしかない。石油や天然ガスなど再生不可能な資源は、生態学的資本という固定した蓄積であって、一度しか使えないからである。
社会における消費と自然における生産との間で、赤字を最小限に食い止めるためには、再生不可能な資源をできるだけ使わないようにし、また、再生可能な資源を使用するのは、その生産速度と同程度にしておいて、生態サイクルに重大な損害を及ぼさない範囲にとどめておくべきなのである。