FC2ブログ

カルヴィニズムの極端

APLaC/SYDNEY/シドニー多元生活文化研究会「ESSAY:キリスト教について(14)カルヴァンとイギリス国教」より


カルヴァンはもともとフランス人なのですが、当時フランスにまで影響を与えていたルターの宗教改革に触発され、プロテスタントになります。フランスでの弾圧を避けて、スイスまで逃れます。カルヴァンという人は、ルターの始めた宗教改革をよりバリバリに先鋭的にして戦った人であり、ルターの発想を具体化してラディカルな社会変革を試みています。


彼の基本コンセプトは、簡単にいえば『禁欲・勤勉・神への隷属・聖書中心主義』というもので、全能の神の前においては人間は徹底的に無力な存在であり、神の救済を得る為に神に100%隷属すると同時に、日々においてはひたすら禁欲的で勤勉であれという、何というか非常に堅苦しいものです。


カルヴァンは単なる宗教家というよりは、政治家や豪族みたいな存在になります。なんせクーデターを起こして政権を奪ってしまうのですから。ジュネーブの独裁者になったカルヴァンは、以後30年ほど現人神(神官)が政治を運営する神権政治(神聖政治)を復興させます。禁欲的なカルヴァニズムの教義や規則に逆らう者全てを、厳しく処刑するという恐怖政治です。


また、「禁欲」がモットーですから、徹底的な「ぜいたく禁止令」が施行されます。日々の生活から贅沢や娯楽を止め、質素な生活を強制するわけですから、ジュネーブの街からは華やかな衣装や娯楽が一掃されてしまいます。


要するに、カルヴァンの市政というのは、働け!贅沢はするな!神に隷属して祈れ!逆らう奴は殺す!ということで、かなりゴリゴリにハードなものです。それが30年も続いたわけですが、なぜか?といえば、やっぱり人々がそれを求めていたって部分もあると思います。当時の人々の認識では、死後に天国に行けるか地獄に堕ちるかの命がけの瀬戸際だったわけですし、それまでのローマカトリックに何となく嘘っぽいものを感じていただけに、カルヴァンがハードコアにやればやるほど「本物っぽい」感じを抱いたのかもしれません。


カルヴァンの教えはさらに凄味があります。予定説と呼ばれる彼の説では、「天国にいけるかどうかは生まれる前に既に決まってる」「一生懸命努力しても天国に行ける保証なんか無い」、もっと突き放して言ってしまえば「地獄に堕ちる奴は何をやってもダメ」というミもフタもないものです。あれだけ勤勉になれ、贅沢すな、祈れ!と言いながら、それをやったから何かイイコトがあるかという、何にも無いという。スゴイ思想ですよね。


カルヴァンの論理が後の世界史に大きな影響を与えた点があります。それが「勤労の美徳」です。全てが神によって予定され、周到に配置されているのだから、僕らが日々やっている仕事もまた、神が予定し、用意しておいてくれた「天職」なのだと。だから、それがどんなに詰まらない仕事、儲からない仕事であったとしても、神に与えられた仕事なのだから、怠けたり不満を言ってはならない。勤勉な気持で天職に励め、という論理につながっていきます。そして、そのような正しい勤労の結果得られた富を蓄積することも、信仰上正しいと説きます


このような論理で、プロテスタントはカトリックに比べて非常に「働き者」になります。この働き者と化したプロテスタント達が、後の世界史で大きな役割を果たすようになります。つまり、あとで述べる重商主義、産業革命、資本主義の勃興期において、「勤勉に働け」「貯蓄せよ(贅沢できないからお金も貯まるし)」という天然モードで邁進するプロテスタントが、資本主義を育て、絶対王政を打倒し、20世紀以降の資本主義社会を作り上げています。実際、今の国際資本主義社会をリードするのは、アメリカやイギリス、そしてドイツというプロテスタント系の国でしょ?しかし、ここでふと思うのですが、プロテスタントでもなく、神も信じない日本人が勤勉なのは何故なのでしょう?これはこれで面白いのですが、話が逸れすぎるから割愛。



宗教改革の二大巨頭であるルターとカルヴァンですが、色々な点でこの両者には違いがあります。僕が思うに、ルターのおじさんは、生真面目な学者肌の人で、頑固で意固地なところはありながらも基本的には常識人だったのではないかと。彼がローマ教会にタテ付いたのも、最初は純粋に学問的見地からでしたし、その後一連の宗教改革ムーブメントにおいても、自分が先頭に立って軍団を指揮するような人ではなかった。どちらかといえば、そのような暴力沙汰を好まず、ルター以降の流れで起きた農民の反乱を批判して裏切り者呼ばわりされたりもしています



記事分類
転位
*
*
ランキングに参加しています
BlogPeople
FC2ブログランキング
INポイントランキング
ブログパーツ
リンク
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
プロフィール

佐藤蓼丸

Author:佐藤蓼丸
私たちは体においてよりも、心において不健康である。⇨ ラ・ロシュフコー

安全で有効なmRNAワクチン?
安全で有効なDNAワクチン?
ファイザー遺伝子ワクチンの副反応
ワクチンの天秤のかけ方
医学部生等まで正体不明のワクチンに捧げるな