構造としての愛
ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社 より
■タイプ2の概観
愛はきわめて多くの様相をもっているので、定義するのはむずかしい。愛は人によって、また相手とどういった関係を結んでいるかによって、別のものを意味する。この言葉は、数々の美徳ばかりか悪徳を表すのにも用いられる。
すべての性格のタイプの中で、タイプ2は愛を、他人に対する肯定的感情をもつこと、他人を世話すること、自己犠牲という観点から考える。こういった側面が愛の全体像の中の重要な部分を占めていることは間違いない。しかし、タイプ2がともすると忘れがちになるのは、至上の愛は感情よりも現実により密接に結び付くということである。
真の愛は、たとえそれが互いの関係を危うくすることになるとしても、相手にとって最高のものであることを欲する。愛は、たとえタイプ2が相手の人の人生から身を引かなければならないことを意味するとしても、愛される者が強くなり自立することを欲する。
本当の愛は、決して相手が進んで与えたくないものを取り上げるために使われたりしない。愛は、誰に責任があるかにかかわらず、応答のないこと、身勝手、過ちを超えて生き残る。そして、愛は取り戻すことができない。もしできるとしたら、それは愛ではない。
タイプ2は、人生の中のよいことすべての根源は愛であると心から信じており、多くの点で彼らは正しい。しかし、一部のタイプ2が「愛」と呼ぶものとその名に値するものとは、大きく異なったものがある。この性格のタイプの中には、無私の真実の愛から、「快楽」を喜ぶ感情表現やユダヤ人の母的な他人を操る行為(他人を操るために愛を利用するのは、ユダヤ人や母親にかぎらないが)まで、考え得るかぎり様々な愛の形がある。
愛の旗を掲げて行進する人々の中には、最も無私無欲な天使から、最も憎悪に満ちた悪魔まで、きわめて多種多様な人種がいる。性格のタイプ2を理解することは、彼らがどうしてそういうふうになったかを理解するのを助けてくれる。
■タイプ2の著名人
