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生物医学モデル

フリッチョフ・カプラ「新ターニングポイント・ポストバブルの指針」工作舎 第五章 ひろがる医療危機 1、生物医学モデルと現代医学 より


デカルトの時代から300年を経た今もなお、医学は、ジョージ・エンジェルの言葉を借りれば「身体は機械であり、病気はその機械が故障した結果であり、医者の職務は壊れた機械の修繕であるという考え方」いわゆる生物医学モデルに立脚しているのである。


現代医学は人体を限りなく小片に分解することに気をとられて、ともすればひとりの人間としての患者の姿を見失い、健康というものを機械作用に還元することによって、もはや癒しという現象に対処できなくなっている。


それがおそらくは、生物医学の最大の欠陥であろう。臨床医なら誰しも、癒しこそがあらゆる医学の本質的な側面であることを心得ているにもかかわらず、癒しの現象は科学の埒外に置かれ、「治療師(ヒーラー)」という言葉には胡散臭さがつきまとい、医学校では一般に、健康及び癒しの概念が論じられることはない


癒しという現象が生物医科学から排斥される理由ははっきりしている。癒しは、還元主義者の用語では把握しきれない現象なのである。それは外傷の治療についても、また、それ以上に、人間をとりまく物理的、心理的、社会的、環境的要因による複雑な相互作用を伴うことが多い疾病の治療についても、言えることなのである。医学の理論と実践に癒しという考え方をとり戻すためには、医科学が健康と病気に対する偏狭な見解打破する必要がある。


非科学に甘んじるべきだということではない。反対に、その概念基盤をひろげれば、医学はいまよりもっと、現代科学の新たな推移と足並みがが揃うようになるだろうということなのだ


あらゆる時代を通じて癒しは、患者の肉体だけでなく精神、たとえば患者宇宙および至高なるものとの関係をはじめ、患者の自己に対するイメージ、物理的・社会的環境への依存度といったものをも含む全人的な不調和をもってとする、伝統的な知恵に導かれた土俗的な治療師たちによって行われてきた。


現在もなお、世界の大半の患者を診ているそうした治療師たちは、それぞれそれなりに全包括的であるさまざまな方法に従い、多彩な治療術を駆使している。彼らに共通しているのは、生物医学モデルが拘泥している物理的現象だけこだわらないということだ。


治療師たちは儀式や祭礼を通じて患者の精神に働きかけようとする。つねに病いの重要な要素である恐れをとり除き、患者が、あらゆる生体に備わる自然治癒力を喚起するのに手を貸すのである。こうした治療の儀式はふつう、治療師と患者との密接な関係を伴い、治療師を媒介として超自然的な力が発揮されることも少なくない。

嗜癖システムと「責任」

A・W・シェフ「嗜癖する社会」誠信書房 より

私たちはよくコントロールと責任を混同します。人間関係において「責任を持つ」という時、それが実は、そこでの決定をすべてコントロールすることを意味することがあります。


リビング・プロセス・システム(*持続可能なシステム)では、責任とは反応する能力のことです。これに対して嗜癖システムで責任というと、そこには、責務と非難の意味が含まれます。責任のある人は「負担を負い」、すべてをコントロールしなければならないというのが一般的な考えです。


そのため彼らは責務を担い、計画通りにいかないことがあれば非難されます。責任というものを、このように考えれば、それが重荷となるのも無理はありません


私たちはまた、コントロールとパワーを混同しています。「女性の現実」の中で私は、「白人男性システム」におけるパワーの概念とは、何かを圧倒するパワーであり、「新たな女性システム」におけるパワーは個人的なもので、何ものにもそのパワーが及ぶことはないと述べました。古い諺を借りれば、個人のパワーは他人の鼻先までで終わるのです。


他者に対する支配

同調圧力

ある友人が私の家に二週間ほど滞在した時のこと、私はこの幻想を痛感しました。彼女はその時、きわめて嗜癖的に振舞ったのですが、これに反応した私は、コントロール幻想から遠く離れて安全であると思い込んでいたのに、たちまち逆戻りしてしまいました。


私は、自分の家が崩れ落ちてしまうように感じ、別の友人に言いました。「まるで、熱くなったストーブの中に座ってふたがポンポン飛び跳ねているポットに囲まれているようだわ。私はポットのふたが跳ばないように必死になっているの」。


コントロール幻想は、単なる幻想にすぎません。誰も何もコントロールすることなどできないからです

コントロール幻想

A・W・シェフ「嗜癖する社会」誠信書房 より

嗜癖システムにおけるコントロール幻想は、物質あるいは過程によって自己をコントロールしようとする試みから始まります。飲酒、ドラック、心配、過労、情事に耽ることなどは、自分が何を考え感じ行うかに取り組むのを避けるための試みでしょう。こういった試みすぐさま、他者の考え、感情、行動等をコントロールしようとする試みへと拡大していきます。


例えば多くの人は、誰かが自分を愛するように仕向けることができると固く信じています。とは自由に与えられる贈り物だということを忘れています一方では「正しい」ことを言い、「正しい」服装をし、「正しく」振舞うことにとらわれています


彼らは、他の誰かの心を変えるパワーを持ち、期待する感情を呼び起こすことができると考えているのです


コントロール幻想を育む

幻想を好む人

本当は存在もしないもの取り巻かれていることを認識するのにはためらいがあります。だからこそ、アルコホリック・アノニマスの十二ステップのプログラムの第一が、人間は嗜癖に対して無力であり、生きることが、どうにもならなくなったことを認めるよう提唱するのです。

ストレス嗜癖

ストレスに関して、今日多くの関心が払われるようになりました。私の経験によれば、ほとんどすべてのストレスはコントロールの幻想から生じます


別の講演旅行の際、飛行機で隣り合わせた男性と話す機会がありました。私が医学校で講演する予定だと説明したところ、彼はたまたまその学校に勤める人で、生理学を教え、ストレスのワークショップも持っているということでした。


「私たちは同じような仕事をしているようですね」と私は言いました。「私たちはストレスでいっぱいの仕事をしています。明日は、もっとストレスの少ない、ストレスから解放されたシステムの選択について話すつもりなんです


彼は吹き出して、こう言った。「そんなの不可能ですよ」


「ストレスから解放された、もっと住みやすいシステムはお気に入りませんか」と私は尋ねました。


「そうですね」と彼は言いました。「どんなシステムにもある種のストレスは必要なのですよ。時にはシステムにとって良いものでもあるのです」。


私はびっくりしました。「いったいどうしてそんなことが信じられるんです」。


「ストレスは弱者を淘汰し、適者を生存させますからね」と彼は言いました。


私にはこれ以上言うべき言葉がありませんでした。ただ、「本当に?誰が先に死ぬか統計的にわかってでもいるのですか」と言うだけでした。


次の日、彼は私の講演にやって来ませんでした。自分のシステムが宇宙の中心にあり、それが存在する唯一のシステムであるという彼の信念は、歪んだ思考の産物です。


彼は、そのストレス必要説の幻想を維持するために、事実さえも歪めなければならないでしょう。自分がそのために殺される間際になっても、彼は自分の説に固執することでしょう。コントロールの幻想によって方向づけられる社会は、ストレスを正常なものとして受けとめます



健康嗜癖

自己欺瞞の神話

A・W・シェフ「嗜癖する社会」誠信書房 より

コントロールの幻想は、白人男性システムの第二、第三、第五の神話と密接に結びついています。


第二の神話は、白人男性システムは本質的に優越している、というものでした。これを信じるなら、さらに拡大解釈して、他のあらゆることは劣っており、このシステムに従わねばならなくなります。この優れたシステムによってコントロールされなければなりません。


第三の神話は、白人男性システムはすべてを知り理解している、でした。システムが知らないもの、理解できないものはなにも存在し得ません。新しい、あるいは異なった情報は、神話を脅かし、システムを危機にさらすために容認されません。その種の情報は隠匿され操作され、つまりコントロールされなければならないのです。


第五の神話。システムによって神となることが可能である。この特殊な神の特徴は、あらゆるものをコントロールする能力です。彼は白人で、男性で、責務を負っています。


嗜癖システムの神、それは信条に導かれた神であり、旧約、新約聖書の中の神とは似ても似つかない支配者です。システムが神となることを許すならば、その神がすべてをコントロールすることになります。そしてそれが私たちの現実の姿なのです


我が国の政治リーダーたちを考えてみましょう。あらゆることを支配できると固く信じている大統領や内閣は、この地球上のすべての出来事をコントロールできると思っていますが、それに飽き足らず、宇宙にまでコントロールの手を伸ばせると思っているようです。


私たちのシステムが神を支配者と見なし、神になることが可能だと信じているために、私たちの生活は支配という幻想を模倣したものになっています


誰もが他人をコントロールしようとします。我が政府は規則とコントロールをその目的にしています。私たちの人間関係は、支配-被支配のパターンに陥っています。自分自身、家族、外界に対してコントロールを失うことを、人々はもっとも恐れています


子育てさえもコントロールを目指している現状では、子供の養育のうちどれが普遍的な事実なのか、嗜癖システムの中においてのみ真なのか、私は戸惑うことがあります。思春期の子供の反抗は、本当に正常な発達段階なのでしょうか。子供たちをコントロールすることをやめたとしても、アイデンティティーの確立のためには反抗が必要なのでしょうか。子育てのアプローチに非支配的な態度を取ったとしたら何が起こるのでしょうか。


神になろうとすることは嗜癖を導き、人間の身体に過度のストレスをもたらします。支配力の及ばない事柄をコントロールしようとすれば、身体は酷使され、緊張し、文字通り死に至るのです。コントロールの幻想を捨てた時、私たちはストレスから解放されると私は信じています。

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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

Author:佐藤蓼丸
私たちは体においてよりも、心において不健康である。⇨ ラ・ロシュフコー

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