FC2ブログ

ホビット荘の住人


■意識性と個人性に起因する諸問題

彼らがそれを認めたいか認めたくないかは別にして、タイプ9も単一の個人である。彼らは、その夢のような反意識性の中で生きるうちに、他の人たちとの結びつきを得るよりはむしろ、必然的にそれを失うであろう。その半意識性下において彼らの人間関係は、ほとんど理想化された幻想にすぎない。


その認識は、病的な場合には非常に進行するので、現実の客体と主観的認識の区別ができない。そうした行動は、客観的現実とは無関係な幻想に基づく特徴を持ち、きわめて混乱させられるものである。これはこのタイプの現実を遠ざける主観性を明らかにする。


しかし、その客体のもつ影響力が完全に現われなければ、それは善意の中立状態と出会い、共感はほとんど示さないが、絶えず落ち着きをもたらし順応する。低すぎるものは少し高くされ、高すぎるものは低くされる(平準化絶対的平等)熱狂には水がかけられ、過度は抑制される。そして普通の状態から外れたものは、すべて正しい基準に戻される。➡ ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社 より


■ C・G・ユング「心理学的類型」内向的感覚型)より

これらはすべて、客体が持つ影響力を必要な限度内にとどめるためである。こうしてこのタイプは、自分の環境に対する一つの脅威となる。というのは、その全体的無害性は全く疑いがない、というのではないからである


彼はすぐに他人の攻撃と尊大さの犠牲になる。こうした人は最初は自分自身を侮蔑されるに任せるが、最も不適当な機会に、相手よりも二倍も愚鈍に、そして頑固になって報復する。■


ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社 より

<連続体>の下端では、タイプ9はほかの誰とも同じように、彼らに独自の利己心があるので「その環境に対する一つの脅威」である。もっとも、他のタイプに比べて、他者に順応していることがあまりにもはっきりしているので、タイプ9の利己心は見つけにくい


彼らの利己心がとる独自の形は、多くの価値を進んで犠牲にしようとするその心持ちーある意味では、現実すべてを進んで犠牲にしようとする心持ちである。そうすることによって、彼らはその心の平安を維持することができる。


不安になること、あるいは、なんらかの形で感情的な刺激を受けることは、通常から不健全までのタイプ9にとって、きわめて脅威的なことである。なぜなら、彼らはその感情を意識することに慣れていないからである。


実際、いかなる種類の感情的反応も、その反応が不安、攻撃、または、なにか他の原因によるにしろ、彼らの抑圧の完全さを引き裂く。その結果、彼らが利己的にではあるが無意識に支払う代価が、すべての人、すべての物に、ますます目を向けないということであっても、通常のタイプ9はいかなる代価を払っても、平和を探し求める


彼らは「実情に目をつぶる」ことによって、必死になって平和に固執するため、結局、何事にも対処できなくなる。彼らは問題を やり過ごそうと急ぐあまり、何事にもまともに直面せず、問題は決して解決されない。彼らは人生をまるで夢遊病で歩むみたいに、部位感覚を失う。


お粗末な判断をして、ときには悲劇的な結果を生じることもある。さらに、彼らの注意の欠如現実遊離がもたらす結果を、少なくとも他人は永久には見過ごしてくれない


不健全なタイプ9は、どんな代償を払って避けようとしても、自分のしたことに真正面から取り組まなければならないこともある。彼らはいかに自分が怠慢であったかを直視するよりは、現実から完全に背を向けたい

安定して幸福な子供時代

これらすべての経験は統合され、私は愛されているという経験へと結晶する。私は母親の子供だから愛される。私は可愛い良い子だから愛される。母親が私を必要としているから、私は愛される。これをより一般的な言い方でいえば、私は今のような私だから愛されるということになろう。もっと正確には、私が私だから愛されるということになろうか。母親に愛されるというこの経験は受動的である。愛されるためにしなければならないことは何もない


母親の愛は無条件なのだ。しなければならないことといったら、生きていること、そして母親の子供であることだけだ。母親の愛は至福であり、平安であり、わざわざ獲得する必要はなく、それを受け取るための資格もない


しかし、母親の愛が無条件であることには否定的な側面もある。愛されるのに資格が要らない反面、それを獲得しよう、作り出そう、コントロールしようと思ってもできるものではない。母親の愛があるのは神の恵みのようなものであって、もし母親の愛がなく、人生が真っ暗になってしまったとしても、どんなことをしても創り出すことはできない。⇨ エーリッヒ・フロム「愛するということ」紀伊國屋書店 より

『ロード・オブ・ザ・リング』(原題:The Lord of the Rings: The Fellowship of the Ring)2001年、アメリカ・ニュージーランド合作。監督・製作 : ピーター・ジャクソン■キャスト /フロド : イライジャ・ウッド、アルウェン : リヴ・タイラー


ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社 より

幼児期の原点

子どものとき、タイプ9は、両親もしくはそれに代わる人物を肯定的に同一視した。両親と同一視することによって、彼らの感情面の要求は完全に満たされていたため、両親と自分を区別しようとする衝動ごくわずかであった。


タイプ9は、少なくとも、その性格の様式が形成される初期年代の間は、安定して幸福な子供時代を典型的に送った。彼らの子供時代は、愛着を持ってふり返る詩的で美しい時代再び取り戻したい時代であった。貧乏や病気や他の災難によって、それまでののんびりした生活がめちゃめちゃになってしまった一時期が、子供時代の終わりにあったかもしれない。しかしそのときまでに、彼らの最も重要な性格構造はすでにしっかり固まっていた


タイプ9は両親と肯定的に同一視したため、他の人たちと深い同一感をもつことによって、自分の自己感覚(アイデンティティ)を維持することを学んだ。その後の人生では、彼らは、最初に両親との結びつきに非常な満足を味わったのと同じように、他の人たちと結びつき、それに、自分の結びつきの一形式である平和との結びつきを求める


タイプ9は、自分が同一感を持った相手との分離を最も恐れる。こういう理由で、通常から不健全までのタイプ9は、たとえそれが他人に従属しすぎることを意味するとしても、可能な限りあらゆることをして、自分自身や他の人たちとの間の感情的な絆を維持、強化する。

『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』(原題:The Return of the King)2003年、アメリカ・ニュージーランド合作。監督・製作 : ピーター・ジャクソン■キャスト /メリー:ドミニク・モナハン、エオウィン:ミランダ・オットー、エオメル:カール・アーバン、ギャムリング:ブルース・ホプキンス、セオデン:バーナード・ヒル

典型的な平凡人

ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社 より

周りに順応して役割を演ずる人

通常のタイプ9は、進んで自分自身を他者に順応させる。なぜなら、彼らの自己感覚はそこにかかっているからである。相手が理想化されればされるほど、感情的な絆は強くなり、タイプ9が感じている自分自身というものとの一体化を深める。彼らは、子供のために生きる母親、夫のために生きる妻のようになる。もちろん、子供がまだ幼く、母親なしでは生きられないときに、母親が子供の必要に従うことは適切なことである。しかし、子供が大きくなるにつれ、同じように自分を表に出さない態度を続ければ、それは問題となる。。


通常のタイプ9が相手との一体感を持ちすぎ、その過程において自分自身を見失うことが多すぎるのが本質的問題である。あまりにもたやすく他人の願望どおりにすることが彼らの願いとなり、他人の考えどおりにすることが彼らの考えとなる


相互作用が起こる:彼らは相手に順応するにつれ、相手を理想化する。もし相手が人ならば、その人は決して間違ったことはしない。もしそれが価値とか信念であるならば、それは決して疑われることはない。したがって、通常のタイプ9は、習慣的な役割にすぐに落ち込み、人生で自分の占める場所は役割「夫、妻、稼ぎ手、親、市民」を果たすことであると定義する。しかし、


それは誰か他の人から、もしくは、自分の生きている文化によって割り当てられたものである


他の多くの事柄の中で、結婚し、子供をもち、仕事を持ち続けることが期待され、彼らはそのように順応する。彼らの生き方、宗教的、政治的信念、自分自身や子供たちに対する期待は、自分が受け入れた慣習によってすべて定義される。


通常のタイプ9は、典型的な平凡人であるとあまりにも適切に考えられているのは、この理由による。彼らは社会の接着剤であり、必要ならばどんな隙間にも進んで流し込まれようとする意志によって、関与した個人にはそれなりの犠牲を払わせることになるが、社会に役立つ。自分の発達については一切考えずに、通常のタイプ9は、習慣的な価値基準と社会の大半の穏健な生活様式を受け入れる。


したがって尊敬されることは、彼らにとって非常に重要なことである。タイプ9は、社会的地位が同じくらいの人たちに負けまいとするよりも、むしろ、社会の尊敬すべき人々の一員であり、適切なことをし、立派な人たちがやらないようなことはしないことのほうに関心がある


この意味において、通常のタイプ9は一般に保守派であり、家族と宗教と仕事を中心とする伝統的価値を守ろうとする


『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』(原題:The Return of the King)2003年、アメリカ・ニュージーランド合作。監督・製作 : ピーター・ジャクソン■キャスト /■ピピン: ビリー・ボイド、ガンダルフ : イアン・マッケラン、デネソール:ジョン・ノーブル、ファラミア:デビッド・ウェナム

フロド・バギンズの特別な使命


ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社 より

タイプ9の統合の方向⇨タイプ3に動く

健全なタイプ9が3に統合すると、彼らは自信を持ち、自分自身とその能力を可能な限り最大限に伸ばすことに関心を持つようになる。彼らは感情の抑圧状態から自分自身をもっと重要視する方向へ、世間にただ生まれてきたという存在から、積極的で自ら考えて行動する実力者へと動く。


彼らはすでに健全できわめて安定しているので、もはや他人を通して生きることはないし、自尊心や自己確認の源として、習慣となっている役割に従う必要もない。その代わり、統合に向かうタイプ9は、適切に自分自身を主張することで自分自身を創造する。彼らはもはや変化を恐れず、より柔軟になり、適応力をつけ、ひとり立ちの人間として完全に現実に対処することができる。


統合に向かうタイプ9は、自分の活力と結びついている。フロイトの用語でいえば、自分自身の攻撃的、本能的な面であるイドにつながる。タイプ9は、その攻撃的衝動を常に恐れてきたが、今や恐れる必要はないことを理解する。なぜなら、その衝動は必ずしも破壊的なものではなく、むしろ、自己の成長につなげられるものだけである。


他人に対して攻撃的にならずに、したがって、人間関係を危うくせずに自分自身を主張できることを知り、そのため、タイプ9の安らぎは前よりしっかりしたものになる。その自尊心が増すにつれ、彼らの人間関係はより成熟し、より満足のいくものとなる。


統合に向かうタイプ9は、人間関係を築くことのできる相手を探すために、自己を消し去る必要がもはやないことを知る。自分自身でいること、そして、自分自身になることで、彼らは人を引き付け、人は、彼らがかつてなかったほど関心をひく好ましい人間であると知る。


人々は彼らに一体感を持ち、彼らを探し求め、彼らに自分自身を適応させ始めることさえするであろう。統合に向かうタイプ9は、多分、他の人たちが、彼らを頼ることを思いとどまらせようとするであろうが、それでもそのことが彼らを喜ばせるであろうし、また、喜ぶはずである

疎外された人間

エーリッヒ・フロム「愛について」紀伊國屋書店ー第3章『愛と現代西洋社会におけるその崩壊』より


資本主義が発達した結果、資本はますます蓄積集中の傾向をつよめている。大企業はますます巨大化し、中小企業はどんどんつぶれていく。企業に投下された資本の所有者は、その企業の経営からますます遠ざかってゆく。


何万、何十万という株主が企業を「所有」している。一方経営陣は、高給をもらってはいるが、その企業を所有しているわけではない。そしてその経営陣は、最大の利益をあげることよりも、企業の拡張や、自分たちの権力の拡大に関心を抱いている


現代資本主義はどんな人間を必要としているだろうか。それは、大人数で円滑に協力し合う人間、飽くことなく消費したがる人間、好みが標準化されていて、他からの影響を受けやすく、その行動を予測しやすい人間である。


集団


また、自分は自由で独立していると信じ、いかなる権威・主義・良心にも服従せず、それでいて命令には進んで従い、期待に沿うように行動し、摩擦を起こすことなく社会という機械に自分を進んではめ込むような人間である


仕事


無理強いせずとも容易に操縦することができ、指導者がいなくとも道から逸れることなく、自分自身の目的がなくとも


実行せよ」「休まず働け」「自分の役割を果たせ」「ただ前を見てすすめ」といった命令に黙々と従って働く人間である。


その結果、どういうことになるのか。


現代人は自分自身からも、自然からも疎外されている。現代人は商品と化し、自分の生命力をまるで投資のように感じている。投資である以上、現在の市場条件のもとで得られる最大限の利益をもたらさなければならないということになる。


人間関係は、本質的に、疎外されたロボットどうしの関係になっており、個々人は集団に密着していることによって安全を確保しようとし考え感情行動周囲と違わないようにしようと努めるが、それにもかかわらず誰もが孤独で、孤独を克服できないときにかならずやってくる不安定感不安感罪悪感怯えている。

記事分類
転位
*
*
ランキングに参加しています
BlogPeople
FC2ブログランキング
INポイントランキング
ブログパーツ
リンク
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
プロフィール

佐藤蓼丸

Author:佐藤蓼丸
私たちは体においてよりも、心において不健康である。⇨ ラ・ロシュフコー

安全で有効なmRNAワクチン?
安全で有効なDNAワクチン?
ファイザー遺伝子ワクチンの副反応
ワクチンの天秤のかけ方
医学部生等まで正体不明のワクチンに捧げるな