自粛警察
ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社 /通常のタイプ6(忠実な人・内向的感情型)の分析 より
■従順な伝統主義者
タイプ6は、ひとたび個人や集団に身を委ねると、自分で責任を引き受けることを恐れ始める。彼らは、集団の基準に忠実に従うことで安全を感じたいと思い、なにか重要な行動をする前には、他の人の承認、特に権威の象徴の承認を得たいと思う。
通常のタイプ6は自立していないし、そうしたいとも思わない。彼らは、その権威が人間であれ(人間であることが多い)、人間以外の一連の基準や信仰であれ、権威によって設定される境界線を欲しがる。
彼らが身を委ねる人々に対する健全な忠誠は、依存へと堕落してしまっている。通常のタイプ6は命令されると気分が楽だと感じ、他のどの性格のタイプよりも、人生のあらゆる重要な分野において彼らに指針を与えてくれ、すべてを包み込む権威に従順であることで、安全を感じようとする。
彼らは権威に疑問を持つことはない。そうすることは、自分の責任でやっていて、不安であると感じさせることになるからであり、これはむしろ避けたいことである。
彼らは資料とか規則や法令など、なんらかの「聖典」の中に前例と答えを探す。(タイプ6が指導者である場合、十中八九は委員会を設置して、総意を通じて運営する)通常のタイプ6が従う規則は、常に軍隊の規則を解釈する教練係の軍曹から、教会の規則を解釈する司祭、そして法そのものまで、社会の規則を解釈する権威の象徴の解釈に支配されている。
もし規則に従えば、それらの規則がなにを命令していようとも、誰も批判しないし、罰しない、とタイプ6は考える。「命令に従っているだけだ」「司祭は、それでいい、とおっしゃった」「質問はしない。言われたことをやるだけだ」などは、この段階でのタイプ6の典型である。
しかし、従順さは通常のタイプ6をその多くの不安から解放する一方で、彼らは決定を下す責任をとってもらうように誰かに頼るので、自分自身の成熟を危険にさらす。
