優柔不断と受動攻撃
ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社 /通常のタイプ6(忠実な人・内向的感情型)の分析 より
受動攻撃の両価性は、日常生活に絶えず入り込み、優柔不断、動揺する態度、相反する行動と感情、そして、一般的な随伴性と予測不可能の結果を招く、安心と安全を得る手段としての他人の要求に忠実であるか、「それとも」自分に頼るか、従順に人に頼るか、「それとも」断行として抵抗し自立するか、自分の世界を支配するのに主導権をとるか、「それとも」受け身で他人の指導をただ待つか、彼らは決めることができない。彼らは動揺し、それから、諺のロバよろしく、一方にいったかと思うともう一方に行き、どちらの干し草の束がよいかを決めることが決してできない。⇨ セオドア・ミロン「人格の障害」
両価性は、タイプ6に、自分の行動に対する責任を回避させるが、それは、大きな感情面の緊張をもたらし、彼らを緊張させ疲れ果てさせる。片足をアクセルに、片足をブレーキに同時に乗せているようなものなのである。なんらかの緊張にさらされているときはいつも、彼らは不満を並べ立て、機嫌が悪く、拒絶症のようになる。
タイプ6は、自分の欲求に関しては様々に異なる信号を送りながら、決定に責任を持つように人に迫るので、関係していて極端に欲求不満になる。その結果の一つは、誰も素直な答えを彼らから引き出すことができない。イエスはノーを意味し、ノーはイエスを意味する。
通常のタイプ6の責任逃れは、他人に万事主導権をとることを強い、一方、彼らの方は、あるときは決定したことを受け容れ、ある時は拒否することで、ただ予想のつかない反応をするだけである。なにかがうまくいかないと、彼らはそれに対して声高に不平を言うが、そのうまくいかなかった決定についてはどんな責任も避ける。
