ブレインウォッシュ(洗脳)
ウィルソン・ブライアン・キイ「メディア・レイプ・第4章/メディアー脳を洗うコインランドリー」(株)リブロポート より
ほんのちょっとの広告の中にも、政治的・経済的・文化的プロパガンダは潜んでいる。それはあからさまに述べられてはおらず、暗示されているだけだ。しかしそのためいっそう効果的なのである。ソ連(1922年~1991年)をはじめとする共産圏諸国では政治的イデオロギーがあからさまに宣伝される。
しかし実際のところ、それがかえって宣伝効果を著しく弱めているのかもしれない。いかにもプロパガンダらしいプロパガンダは結局失敗する。ともかくソ連の報道担当者は、腋下消臭剤を売り込むマディソン・アベニューの広告マンと同じ熱意をもって、強引に彼らの政治と哲学のシステムを売り込もうとしている。
だが教化される側には「自分の教化されやすさ」が決して見えない。他人がみんな教化されていることは分かる。しかしその中に自分たちすべてが含まれているということは、容認しがたいのである。人類は言語を持つゆえに他の動物より優越しているとされている。
ところが、まさにそのために、説得、教化、プロパガンダ、洗脳、プログラミング、条件づけなど(呼び方はいろいろだが)に最も弱い種なのである。
教化に最も屈しやすいのは、メディアに管理された高度技術社会に住む人々である。注目すべきことに、先進諸国のほとんどすべての人々は、自分が教化に対して免疫をもっていると、無理やり思い込もうとしている。彼らは自分の頭でものを考えていると思い、真実と虚偽、空想と現実、迷信と科学、事実と虚構をなんとなく区別できると考えている。
世界から「自由で、教養があり、知的で、文明的だ」と見なされている諸国民が、いまの世界の存続に深刻な脅威をもたらしている。総じて彼らは、おのれの政治的、社会的、経済的体制の利権に奉仕するメディアや政治や指導者や制度に自分たちがどれほど操作され、管理され、条件づけされているかに気づいていない。
私たちの知るかぎり、利権保有者と指導的立場にあるエリートは、人間社会発展のあらゆる段階に存在するもののように思われる。おそらくこれこそ社会制度の中の唯一の不変なものなのだろう。
「人間は自分たちが考えることについて、どのように考えているか」。これが文明の存続にとって核心をなす問いであることに、私たちはようやく気づき始めた。残念なことに、この問題は常に憤怒、怒り、苛立ち、弁解を引き起こす。でなければ人々をうんざりさせる。
こうしたことにいちばん無防備で、人間教化のシステムにいいようにあしらわれている人々が、個々の教化についてはいちばん弁解がましい態度をとるものである。