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心はどこに向かうのか

ゲルニカ

■菅靖彦「心はどこに向かうのか」NHK BOOKSより

日本においてトランスパーソナル的な考えに基づく、種々の実践を適用する場合、日本社会の特殊性というものを考慮する必要がある。日本の近代化は既に指摘されているように、歴史的必然が産んだものではなく、いわば仮面のように上から押しつけられたものである。


そのため、日本社会は表面的には近代化したものの、内部には依然として、前近代的集団的思考を温存させる二重構造を呈している。こうした二重構造が、逆に会社に献身する会社人間を生み出し、日本の経済成長を支えてきた、という指摘もなされている。


しかし、国際化が進み、人も物も情報もお金も、自由に国境を越えて行き来する今、もはやそうした二重構造は通用しなくなった。日本は今、精神的な意味での開国を迫られているのだ。


トランスパーソナルは「自立」と「つながり」のバランスをとろうとする動きである。だから個人主義が行きすぎたアメリカでは「霊性」の開発が重視され、「つながり」や「一体性」が強調される。しかし、古い「つながり」への執着を未だ断ち切れずにいる社会で、自己超越を展開する場合には、「自立」や「批判精神」を重視する姿勢をもたなければならない。


霊的体験や神秘主義は「批判精神」の対極にあると見なされているが、決してそうではない。確かにそのような体験は、一時的に「批判精神」を手放すことを要求する場合もあるが、それは、曇りのない「批判精神」を培うことに貢献するものであり、決して対立するものではないのだ


現在の「霊的なもの」に対する関心は、規範なき社会で個人の境界があいまいになることに起因するものであり、退行と成長、両方のベクトルを持っている。もう一方では、「霊的なもの」が情報として安易に消費される傾向もあり、自閉的な人たちの幼児的幻想を掻き立てる格好の素材ともなっている。


集団に順応しやすく自閉的な日本人は、瞑想的なものは受け入れやすいが、怒りを表現したり、はっきりと意志を表明することが苦手である。というより、深層に集団主義を温存している社会そのものが、そうした自己表現の道を閉ざしていると言った方がいいかもしれない。


したがって、日本におけるトランスパーソナルの役割は、自己表現を妨げている数々の障害を明確にし、自己表現を広げられるような場所を提供することにある。したがってこれは、単にセラピーの問題ではなく、教育の問題とも深く関ってくるだろう

人類のシャーマン化

■菅靖彦「変性意識の舞台」青土社 より

現代の社会は、合理性重視の父権性社会の延長線上にあり、理性の貫徹による自由と平等の実現をその理想としてきたが、理想を実現するはずだった個人は、超越的な基盤との繋がりを絶たれ、存在の根拠を失い、不安定な状態にある


合理的な生き方そのものが、感情を過度に抑制するライフスタイルを強制するために、否定的な激情を内部に溜めこんで、カリスマへの依存や集団ヒステリーを生み出す要因になっている。しかし、こうした矛盾にこそ、これからの人類が進むべき道が、隠されている


なぜなら、現代の歴史そのものが、合理主義偏重による矛盾を露呈し、修正を迫られる中で、合理主義の乗り越えを試みようとしているからだ。とはいえ、近代が理想に掲げてきた、自由と平等の理念を、私たちが放棄することはできない。となれば、自由や平等性を保ったままでの超越がクローズ・アップされてくる。そのとき、有効に機能すると思われるのが【人類のシャーマン化】という意識進化のモデルなのだ。


それは一言でいえば、ある一部の人間が権力をもって、他を先導するというヒエラルキー構造の終焉を意味している。だからといって、知性や理性だけでは、真の自由や平等が実現されないということは、これまでの歴史が示している。


だとすれば、一人ひとりの人間が、知性とイマジネーション、光と闇、男性性と女性性、生と死の統合を象徴するシャーマンの意識を実現してゆくことによって、個人の自立を達成してゆく以外に方法はないのではないか



ニコライ・ベルジャーエフ

見えざる異性

新しい人間のかたち(1)

もし私がある要因を最大限まで強めれば、他の要因がそれに応じて最小限まで弱められることになる。そこで次の可能性のどちらが望ましいかという問いになる。


活気のある、喜びに満ちた、関心を持つ、能動的な、平和を望む構造か

earthgood.png

活気のない、どんよりとした、関心を持たない、受動的な、 攻撃を望む構造か

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エーリッヒ・フロム「希望の革命」紀伊國屋書店より

(1)過不足なく在ること 。

個性能動的に発揮して至福を追求する生き方」を志向し、「財産知識、社会的地位権力所有」を進んで放棄する意思を持つ。


(2)安心感、自己同一性の感覚、自信は自分の在る姿であり、結びつき関心、世界との連帯への欲求であり、世界を持ち、所有支配し、なおかつ所有物の奴隷になろうとする欲求ではない。


(3)自分以外のいかなる人間も物も、人生に意味を与えることはない。このように独立し、執着しないことが、思いやり分かち合いに専心する最も十全な(過不足のない能動性の条件となる。


(4)自分が今あるところに、過不足なく存在できること。


(5)貯蓄搾取する喜びではなく、与え分かち合うことから来る喜びの尊重。


(6)生命そのものへの尊敬物質ではなく、生命とその成長に関するすべてが神聖であるという認識を持つこと。


(7)貪欲憎しみ幻想を、出来る限り減らす努力をする。


(8)偶像崇拝することなく、偶像や幻想を必要としない状態を志向する。


(9)能力と、批判的だが感傷的でない判断力を、同時に発達させる。


(10)ナルシシズムを捨て、人間に特有な限界を受け入れる。

新しい人間のかたち(2)

エーリッヒ・フロム「希望の革命」紀伊國屋書店

(11)自己及び同胞の十全の成長を、至高の目的とする。


(12)この目的の達成には、修養と現実の尊重が必要だということを自覚できること。


(13)いかなる成長も現実の構造で起こらなければ、健全でないと知っていること。さらに、生の属性(生命のオリエンテーション)としての成長と、死せるものの属性の秩序(デストピア)との区別が出来ること。


(14)耐え難い環境からの逃避のための想像力ではなく、現実的可能性の予測と耐え難い環境を除く手段としての想像力を持つ。


(15)他人を欺かず、他人からも欺かれないこと。無邪気ではあるが、単純ではないこと。


(16)自分の知る自己だけでなく、自分の知らない自己をも知る努力をすること。


(17)人間は全ての生命と一体であり、その前提から、自然を征服し、搾取し、破壊するという目標を捨てる。自然を理解し、自然と調和することに努める。


(18)気ままではなく、自己実現としての自由貪欲としてではなく、いつ何時でも成長と衰退、生と死の選択を迫られる、微妙な選択の上に保たれる構造としての自由を尊重する。


(19)悪と破壊は、成長の失敗の必然的結果であることを知ること


(20)これら全ての資質の完成に至った人は、少数に過ぎないということを知っているが、目的に到達しようとする野心は持たない。そのような目的達成の野心であっても、野心持つ形態であり、貪欲であることを知っているからである。


(21)どこまで到達できるかは考えず、成長する過程に幸福を見出すこと。出来る限りのことをして、充実して生きることは、自分に何が出来て何が出来ないか、という疑念を与えないほどの満足感をもたらすからである。


伝統。


マーラーの名言


R・A・サルバト-レ「アイスウィンド・サーガ、悪魔の水晶」アスキー・エンターブレインより

伝統。この言葉には、重々しい響きがある。伝統。それは、今いる私たちのルーツだ。ご先祖様につながっているものだ。親と子をつなぐ架け橋だ。社会や法律の根っこに、伝統がある。


多くの人にとって、伝統は法律よりも大事なものだ。伝統とは、黄ばんだ羊皮紙に書かれた、或いは岩に刻まれた、神さまの言葉だ。多くの人にとっては、伝統がすべてだ。


私は、伝統は両刃の剣(もろはのつるぎ)だと思う。誤って、深い傷を負ってしまうこともある


故郷のメンゾベランザンにも、伝統の力があった。あそこでは、三男は生贄として神に捧げられる。<白兵院>を卒業するとき、姉が私に迫ってきた。そういう邪悪な儀式を拒む私を、殺そうとしたのだ。そうしたことは、伝統だからいいのだ、と考えられている。


伝統が<慈母>に力を与える。メンゾベランザンでの、おぞましい戦いでさえ、伝統に根差した、家と家との戦いでさえ、今までずっとそうしてきたから、という理由で、正しいことだと考えられているのだ。


そうした欠点のあるのは、ダークエルフに限ったことではない。私はよく、ケルビンの石塚に座って、バーバリアンのキャンプの光を眺めることがある。そこにも、伝統に縛られた人々がいる。古臭い規則に、縛られた人々だ。<氷風の谷>のバーバリアンは、ヘラジカを追って、北から南へ移動する。


はるか昔から、それが、厳しい冬を生き延びるための、唯一の方法だと考えられていたからだ。でも、いま、彼らが、テンタウンズ(十の町)と商売をするならば、生き延びるのは、ずっと簡単になるはずだ。毛皮や肉と、南の地方の商品とを交換すれば、頑丈な家を建てることもできるのだ。


伝統


ドリッズト・ドゥアーデンは、音をたてずに、早足で歩いていた。やわらかい革でできたブーツは、ほこりを立てることさえなかった。フードのついた、茶色いマントを着ている。フードの下の肌は黒く、髪は銀色だ。ドリッズトの動きは、まるで空中を歩いているかのようだった。だから、彼を見ている人がいたとすれば、まぼろしにしか見えなかっただろう。」

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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
プロフィール

佐藤蓼丸

Author:佐藤蓼丸
私たちは体においてよりも、心において不健康である。⇨ ラ・ロシュフコー

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