「合理精神」の浸透

藤原新也「東京漂流」(朝日文庫) より
この日本の家の変化の過程で、もう一つ注目しておかなければならないことがある。それは、合理精神が人々の生活に浸透していく過程の中で、汚物・異物に対する排除感覚が拡大していったことである。
つまりその家は精神から物へと信仰の対象を変え、価値をすりかえる中で、たとえば仏壇や神棚を異物として不要視したように、高度成長のための価値にそぐわない、もしくはそれの足かせとなるような家や家の周辺の異物を次から次へと整理し始めた。
一切の無駄、異物、汚物、危険物は排除され、家の閉鎖性が別の面からも進行していったのである。
人の心を悔い改めさせ、生産性を妨げる神棚や、関りをもたなくてもよい人と無駄話などをして生産のための貴重な時間をつぶす縁側などは、60年代の家として異物である。生き物の死や、ネガティブな面を連想させる雲古の臭いを発散させている汲み取り式便所は、この60年を境として水洗に変わっていき、汚物と見なされた家の中の生き物「蠅」は「町内蠅たたき運動」という珍妙な運動によって大殺戮され、なんとなく危険感を漂わせ、生産性に何の役にも立っていない正月の門松の鋭く天を向いて尖った竹の先が切られて、間抜けな感じを与えるようになったのも、このころである。
家はこのように、世間や自然に向かって、より没交渉となり、自閉し、非合理や無駄を排した無機物へと変化していった。あの「マイホーム」「マイタウン」「マイカー」という名の自己中心的な、ワシさえよけりゃ、アンタはどうでもええ式、70年代処世術文法は、すでにこの家の変容の内に秘められている。
