幼年期の屈辱と家族の権力闘争
■A・ローウェン「ナルシシズムという病」新曜社 -幼年期の屈辱と家族の権力闘争 より
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もちろん体罰が子供に屈辱を与える唯一の方法であるわけではない。往々にして子供は、自分が無価値で、不適格で、馬鹿だと感じさせられるようなやり方でけなされる。しかし、そのような叱責はどんな有益な目的も果たすことができない。私の考えでは、それは親の優越性を証明することを志向しているのである。
子供が知っている筈だと思う問いに間違ったり、答えられなかったときに、子供を笑いものにしたり、馬鹿にしたりする親がいる。子供が泣いたときには、それは「嘘泣き」というもんだなどと、皮肉めいたことを言いながら、子供の感情を偽のものとして片づけてしまうことがある。
子供の人間性や個性に対する敬意を卑しめ、叩き潰し、破壊し、否定してゆく方法のリストは、長いものである。そして多くの親は、このような態度にはどこにも悪いところはないと考えている。それは子供を育ててゆく上で正しいこととして、まかり通っているのである。もちろん、子供が病院に送られるような身体的虐待にまで堕落するときには、私たちはみなショックを受けるのであるが。
必然的にこんな疑問がわいてくる。どうして親はそんなふうにふるまうのだろうか?という疑問がそれである。子供は、力づくや罰によってよりも、理解とやさしさによって効果的に物事を学ぶ。また、もし罰することが必要であるなら、子供に屈辱を与えないような方法でやることができる。
私が思う答えの一つは、自分の親から受けたような扱いを、親が子供にやってしまっているのではないか?ということである。また、子供は親にとって、自分の欲求不満やルサンチマンを発見できる、最も手ごろで最も利用しやすい対象であるということも、認識されなければならない。
世間的に自分が無力であると感じている親は、自分の子供に対して独裁的になることで、こうした感情を補償することができる。だがこのような答えがどれほど妥当であるとしても、すべてがそれで片付くとは思えない。過去の時代と比べて、ナルシシズム障害が増加する原因となっているのは何なのだろうか?