自爆テロと巨大建築物
Toshikazu Sakurai「千年のうち」余命一年から千年を考える~より
農村の余剰生産により人口が増加し、結果として、蔓延する貧困は、権力の強化に利用されてきました。
農村から都市に追い詰められた人々には、常にあらゆる方法で死を与えることでバランスをとっていたのです。
そのひとつが、死より名誉を求めよとの美名により、長じて貧して死ぬより、華やかな冒険の死出の旅を選ばせるものです。
現代の自爆テロそのものの行動原理で、歴史上、貧者は兵士となり、処分されていきました。(スイスの傭兵輸出は有名です)
同時に、権力(都市)によって、人間が使い捨てにされるのだから、物資が使い捨てされるのは、不思議ではありません。歴代の各地の大都市の生産性をもたない巨大建造物の数々は、物資の使い捨てそのものです。
これは貧民の血を吸い上げ、環境破壊をやっていますと自己表明しているようなものではありませんか? 実に正直です。
足ることを知らない発想の、物質的に略奪したぶんリッチで貧しい思考の表現物なのですが、どの建造物も、数歩離れてみれば、どれもしょせんとるにたらない規模で、後世に負担のみ残す「巨大建築物」でしかありません。
ですから・・9.11は・・・、必然だったのかもしれません。
お互いの自爆テロにより、お互いの搾取のモニュメントを破壊しあう という、象徴的行為だったとしたら、わかりやすくなると思うのです。
(現代中国の、都市と農村住人の扱いの違い(身分差別)は、あまりにもわかりやすい典型例で、今も世界中に堅固にのこる構造の基本を示してくれます。)
20160205 T.Sakurai
「私は都市の成長を悪とみなす。それは人類と世界にとって不幸であり、イギリスにとっても、インドにとってはなおさらのこと不幸である。イギリスは都市を通じて、インドを搾取している。インドの都市はまたインドの農村を搾取している。村落の血液は都市に建設される堂々たる建造物のセメントになっている。私は今日ますます太くなっていく都市の動脈に流れる血液をもう一度村落の血管に戻したい」。➡ マハトマ・ガンジー