境界の発生
ケン・ウィルバー「無境界・自己成長のセラピー論」平河出版社より
☟
この本のテーマは、このタイプの自覚、すなわち統一意識ないし至高のアイデンティティが、生きとし生けるものすべての本性であること、ところがわれわれはつぎつぎと世界をせばめ、さまざまな境界を受け入れていき、自らの本性に背を向けてしまうことにある。
「わたしは誰か?」。おそらくこの質問は文明の曙から人類を苦しめてきたものであろう。そして、今日も最大の難問の一つとしてとどまっている。この質問に対して、これまで、聖から俗、複雑なものから単純なもの、科学的なものからロマンティックなもの、政治的なものから個人的なものにいたる、あらゆる範囲の答えが出されてきた。
だが、ここではこの質問に対するこれらの膨大な答えを調べるかわりに、「わたしは誰か?真の自己とは何か?わたしの根源的アイデンティティは何か?」という質問に答えるときに決まって起こる基本的プロセスを見てみよう。
誰かが「あなたは誰か?」と尋ね、ある程度詳細な正直かつ道理にかなった答えをしようとするとき、あなたはいったい何をするのだろうか?そのとき、あなたの頭のなかで何が起こっているのだろうか?ある意味であなたは、自らが知るにいたった自分自身を描写している。その説明のなかには、自分のアイデンティティにとって根源的だとあなたが思っている事実の大半が含まれている。良いものもあれば悪いものもある。価値のあるものも価値のないものも、科学的なものも詩的なものも、哲学的なものも宗教的なものも含まれる。
たとえば、「わたしはユニークな人間で、特定の能力を授けられている。やさしい人間だが、ときには狂暴になる。愛にあふれているが、ときには攻撃的になる。父親で弁護士であり、魚釣りとバスケットボールが好きだ」・・・と考えるかもしれない。このように、あなたのさまざまな想念のリストは、果てしなくつづく。だが、アイデンティティを確立する手順の根底には、さらに基本的な一つのプロセスが潜んでいる。
きわめて単純なことが「あなたは誰か?」という質問に答えるときに起こっているのだ。自分「自身」を描写したり説明したり、あるいは内側で感じているときに、あなたが知っているかどうかにかかわらず、実際には頭で自分の体験の全領域を横切る線や境界を引いているのである。
その境界の内側にあるものはすべて、「自分」と感じたり、呼んだりしているものである。一方、その境界の外側にあるものは全部、あなたが「非自己」と感じているものである。言い換えると、自分のアイデンティティはすべて、その境界をどこに設けるかにかかっていることになる。
あなたは人間であり、椅子ではない。あなたにそれがわかっているのは、意識的あるいは無意識のうちに、人間と椅子のあいだに境界を設けているからである。