あなたは何処に境界線を引くか
ケン・ウィルバー「無境界・自己成長のセラピー論」平河出版社より
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背が非常に高かった場合、高さと低さのあいだに頭で線を引き、背が「高い」というアイデンティティをもつことになる。「これ」と「あれ」のあいだに境界線を引き、つまり、「自分自身」ということばを吐くときには、自分であるものと自分でないものとのあいだに境界線を引いていることになる。そして、「あなたは誰か?」という質問に答えるときには、単にその線の内側にあるものを描写する。
要するに、「あなたは誰か?」とは、「あなたはどこに境界を設けますか?」という意味である。
この「わたしは誰か?」という質問に対する答えはすべて、自己と非自己のあいだに境界線を引くこの基本的な手順から生じてくる。全般的な境界線が引かれてしまうと、この質問に対する答えは科学的、神学的、経済的なきわめて複雑なものになる場合もあれば、もっとも単純かつ不明瞭なままにとどまる場合もある。だが、考えうるあらゆる答えは、最初に引く境界線にかかっている。
この境界線に関して興味深いのは、それがしばしば移行するということである。引きなおすことができるのだ。ある意味で、自分の魂の地図を作りなおし、その領域のなかにそれまで可能だとも獲得できるとも、あるいは好ましいとも思っていなかったものを入れることができるのだ。
すでに見てきたように、境界線のもっとも革命的な再製図ないし移行は、至高のアイデンティティの体験で起こる。ここでは、自分のアイデンティティの境界が全宇宙まで拡大するからである。境界線がまったくなくなるともいえよう。「一つの調和した全体」と同一化しているときには、もはや外側や内側がなく、境界線を引くことができないからである。
本書を通じてわれわれは、しばしばこの至高のアイデンティティとして知られる無境界の自覚へ立ち返り、探求することになろう。だが、この時点では、魂の境界を定義する、より馴染み深い他のいくつかの方法を調べてみることにする。境界線にはそれを設ける人の数と同じくらいさまざまな種類がある。だが、そのすべてが簡単に確認できる一握りのグループ下に入るのである。