「影」と「自己超越」
ケン・ウィルバー「無境界・自己成長のセラピー論」平河出版社より
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もちろん、この自己/非自己の境界線はきわめて柔軟なものである。ということは、自我とか頭のなかにまた別のタイプの境界線が生じてきても驚くにはあたらない。
あとで論議するさまざまな理由で、人は魂の特定の局面を自らのものとして認めることを拒絶するようになる。心理学用語を使うなら、それらを疎外、抑圧、分断、投影するのだ。
自己/非自己の境界を自我的傾向の特定の部分までせばめてしまうのである。このせばめられた自己イメージをわれわれは仮面と呼ぶことになるが、その意味は先に進むにつれだんだん明らかになってくるはずである。
だが、魂の特定の局面だけにアイデンティティをもつようになってくると、残りの部分を異質な領域、相容れない恐ろしい非自己と感じるようになる。そして、魂の地図を作りなおし、自分自身の好ましくない局面(これらの好ましくない局面は「影」と呼ばれる)を意識から追い出し、否定しようとする、程度の差こそあれ、「正気を失う」のだ。
これがもう一つの一般的なタイプの境界線であることは明らかである。この時点で、われわれはこれらの自己地図のうち、どれが「正しいか」、「正確か」、あるいは「真実か」を決めようとしているわけではない。
自己/非自己の境界線にはいくつかのおもなタイプがあることを、公平に指摘しているだけである。このように、この問題に関して判断しない形でアプローチしているわけであるから、今日注目を集めているもう一つのタイプの境界線を取り上げてもよいであろう。それは、いわゆるトランスパーソナルな現象に関連した境界である。
「トランスパーソナル」とは、個人のなかで個人を超える何らかのプロセスが起こっているという意味である。このもっとも単純な例はESPである。超心理学者たちはESPには、テレパシー、透視、予知、既知体験などのいくつかの形態があることを認めている。ここでは身体離脱体験、超個的自己や超個的目撃の体験、至高体験なども含まれるであろう。
こういった体験すべてに共通しているのは、自己/非自己の境界が有機体の皮膚の境界を超えて拡大することである。