仮面の生活
エーリッヒ・フロム著「生きるということ」紀伊國屋書店
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私たちが行なっているのは今までになされた最大の社会的実験であって、それは快楽(能動的情動、福利、喜びに対立する受動的情動としての)が人間存在の問題に対する満足すべき解答となりうるか、という問いに答えるための実験なのである。
歴史上初めて、快楽動因の満足が少数者の特権にとどまらず、人口の半分以上にとって可能となっているのだ。この実験はすでにその問いに対して否定的に答えている。
産業時代の第二の心理学的前提、すなわち個人的利己主義の追求は調和と平和、すべての人間の福利の増大をもたらす、という前提も同様に誤りであることは、理論的根拠から言えることだが、この場合もまたその誤りは観察しうるデータによって証明される。
この原理は古典学派の偉大な経済学者たちの中ではただ一人、デーヴィッド・リカードによってのみしりぞけられたが、これがどうして正しいものでありえようか。利己主義者であるということは私の行動ばかりでなく、私の性格にもかかわることである。
それの意味するところはこうだ。私はすべてのものを私自身のために欲するということ、分かち合うことでなく、所有することが私に快楽を与えるということ、私は貪欲でなければならない、なぜならもし私の目標が持つことであるのなら、私が持てば持つほど私はあるのだから、ということ、
私はほかのすべての人びと、すなわち私がごまかしたいと思う顧客や、やっつけたいと思う競争者や、搾取したいと思う労働者に対して敵意を持たなければならない、ということ。
望みにはきりがないので、私は決して満足することができないし、より多く持つ人びとをうらやみ、より少なく持つ人びとを恐れなければならない。
しかし私はこれらすべての感情を抑圧しなければならない。それは私自身を(自分に対しても他人に対しても)すべての人がそう見せかけているように、ほほえみをたたえた、理性的な、誠実な、親切な人間のように見せるためなのである。