カタリ派
ジャック・ブロス「世界宗教・神秘思想百科」JICC出版局
カタリ派の人びとは、彼らが断罪する教会に異端派と見なされた。教会はカタリ派に対して十字軍を出した。カタリ派の敗北はオック語を使用する文明の敗北でもある。
ギリシア語カタロス《清浄な》から派生した「カタリ」という言葉には、11世紀末期以来、トゥールーズ伯爵領とラングドック地方で広まった異端派カタリ派、あるいはアルビジョワ派の強い願いが表現されている。
この運動はマニ教的なグノーシス主義からインスピレーションを受けた。カタリ派は、福音を堕落させた教会に反発して、原始キリスト教徒の清浄さへの回帰を唱えるだけでなく、野蛮な北フランス地方の文化に対して、きわめて繊細なオック語の文化を肯定する。
11世紀末期に、衝突が避けられなくなり、やがて政治問題になった。トゥールーズ伯爵やレーモン六世はカタリ派を支持した。1208年に、教皇使節ピエール・ド・カステルノが殺害され、それまで平和的に異端を縮小しようとしていた教皇インノケンティウス三世は、このとき十字軍を開始した。シモン・ド・モンフォールが導く北部の領主たちで おもに構成された十字軍は、情け容赦なく戦争を行った。
1229年に、パリ条約でラングドックはフランス領に併合され、カタリ派は異端審間所で糾弾された。彼らの最後の拠点モンセギュールは、 1244年に陥落し、擁護者たちは火刑で滅んだ。
■カタリ派の教え
今日、その教えは異端審間所の訴訟文書だけでなく、1250年と1280年のあいだにイタリアで書かれた『儀式』と『二原則の書』の最近の復刊のおかげで、知ることができる。
二元論者のカタリ派の教義は、聖書の特殊な解釈に基づいているが、二つの対立する原理、「精霊」=善と「物質」=悪の存在を肯定していた。すべての善の源泉である唯一神によって造られた人間は、死滅すべき物質のなかに悪魔により引きずりこまれた。この物質は、神が主人である創造の現れでいちばん下位にある。
人間を救うために、神はこの不純な世界にキリストを降ろした。イエスは、救いの道を教えたあとで、ふたたび天に昇り、慰め役の精霊に霊魂の世話をさせる。神の子が人になる受肉は、したがって堕落である。肉体から離れることでようやく、人間のなかの霊魂は解放される。その手段は、きわめてきびしい苦行であるが、それは、禁欲と、食を完全に断つ断食を含み、結婚と生殖を排除する。
そのような掟は「完全遵守者」によってしか守られなかった。彼らは精霊の洗礼、 コンソラメントゥムを受けたあとで(この精霊こそこの世で彼らを天使にしていた)、信仰に身を捧げていた。普通の信者あるいは善良な人たちは、尋常な生活を送り続けていたが、死の危機のときにコンソラメントゥムを受ける義務を負うていた。