近代的な時間の概念
エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社
資本主義の経済的発展にともなって、心理的雰囲気にもいちじるしい変化が起った。中世も終りに近づくころ、不安な落ちつかない気分が生活をおおうようになった。近代的な意味の時間観念が発達しはじめた。
1分1分が価値あるものになった。時間のこの新しい意味をよくあらわしているのは、ニュールンベルクの時計が十六世紀以来、15分ごとに鐘を打つようになったことである。
休日が多すぎることは一つの不幸と思われた。時間は非常に貴重なものとなり、つまらないことに時間を浪費してはならないと考えるようになった。
仕事がますます至上の価値をもつものとなった。仕事にたいする新しい態度が発達し、しかもそれは非常に強力だったので、教会の制度が経済的に非生産的であることにたいし、中産階級は憤りを感ずるようになった。居候階級は非生産的であり、したがって非道徳的であると非難された。
能率という観念がもっとも高い道徳的な価値の一つと考えられるようになった。同時に富と物質的成功を求める欲望が、ひとびとの心をうばう情熱となった。牧師のマルチン・ブッツェルはいっている。
『世界中が最大の利益を得られる取引や商業を追いかけている。芸術や 学問の研究は、もっともいやしい手仕事のために、捨ててかえりみられない。より高尚な研究のために、神から才能を与えられた優れたひとびとも、すべて商業に夢中になっている。商業にはこんにち、不正がつきものであるから、それは紳士の従事するようなものではない』。
これまでのべてきた、経済的変化のいちじるしい結果は、すべてのひとびとに影響した。中世的社会組織は崩壊し、それとともに、中世的社会組織があたえていた、固定性と比較的な安定性も破壊された。
また資本主義の発達にともなって、社会のすべての階級が動きはじめた。経済的秩序のなかには、もはや自然の、疑う余地がないと考えられるような、固定した場所は存在しなくなった。
個人は独りぼっちにされた。すべてはみずからの努力にかかっており、伝統的な地位の安定にかかっているのではない。