自由という言葉の多義性
エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社
われわれが以前に検討したと同じように、ここでも自由の多義性がみられる。個人は経済的政治的な束縛から自由になる。
かれはまた、新しい組織のなかで活動的な独立した役割を果せば、積極的な自由を手に入れることができる。しかし同時に、かつての安定感と帰属感とを与えていた絆から解放される。人間が世界の中心であるような、狭いとざされた生活は終りをつげる。
世界は際限のないものとなり、同時に恐怖にみちたものとなる。
人間はとざされた世界のなかでもっていた固定した地位を失い、自己の生活の意味に答えるすべをなくしてしまう。その結果、自分自身についての、また生活の目標についての疑惑がふりかかってくる。
かれは強力な超人間的な、資本や市場の力におびやかされる。仲間にたいする関係も、すべて心の奥底には競争心が巣くっていて、敵意にみちた空々しいものとなった。
かれは自由になった――いいかえれば孤独で孤立しており、周囲からおびやかされているのである。
ルネッサンス時代の資本家がもっていたような富も力もなく、また他人や世界と一体になっていた感じも失い、かれは自己の無力さと頼りなさにおしひしがれる。
天国は永久に失われ、個人は独りで世界に立ちむかう。――かれは果しない恐怖にみちた世界に放りだされた異国人である。
新しい自由は必然的に、動揺、無力、懐疑、孤独、不安の感情を生みだす。もし個人がうまく活動しようと思えば、このような感情はやわらげられなければならないのである。