二元論(デュアリズム)
アン・ウィルソン・シェフ「嗜癖する社会」誠信書房
この章で論じる最後のプロセスは、二元論のプロセスです。嗜癖システムのあらゆる特徴を有した基本的なプロセスがあるとすれば、この二元論だろうと私は考えています。
嗜癖システム固有のものとして述べてきた特徴のほとんどと、今まで説明してきたプロセスのすべては、二元的思考の中に見出すことができます。
私たちは二元的思考によって訓練されています。教育が二元的思考を私たちに植え込みます。これかあれか、正しいか間違っているか、善か悪か、内か外か、引くか足すか、黒か白か、まだまだ無限にあります。システムの中でこの思考は多大な機能を果たしています。
まず第一に、複雑に入り組んだ世界を極端に単純化し、本来プロセスの中に普遍的に存在しているものをコントロールできるという幻想をもたらします。非常に複雑な様相を示す事柄を、くっきり二つの次元に分割できると考える時、私たちのコントロールの幻想はみるみる増大していきます。
二元的な思考のプロセスはまた、二極に分けた一方の側を肯定する場合、自動的に他方を否定してしまう状況をもたらします。それは次のような、年老いた母と息子のやりとりが示す場面です。「僕は青いシャツが好きなんだ」と息子が言うと、すかさず母親が聞き返します。「どうしたっていうの。赤いシャツは好きじゃないのかい?」。
二元的思考においては、何かを正しいと言えばその反対は間違いだとされてしまいます。世界は対立する二つのものが対をなす構造として認識されています。対立するもののいずれも正しいとか、この二項対立の他にも組み合わせがあり得るといった認識はまったくありません。
このきわめて二元的なプロセスによって、私たちは別の可能性の選択を妨げられています。白人の女性が自分たちの解放のためにだけ活動するのなら、有色人の女性の解放に対しては反対することになります。二元論が今まで、女性たちを分裂させるためにいかに利用されてきたかのいい例です。
また別の例は、自国の政府の政策に反対する人びとが、政府の敵側の支援にまわる場合に見られます。二元論においては、私たちも彼らも共に誤っているという考えは不可能です。二元論のプロセスによって異なる意見はつぶされていきます。すでに私たちが見てきたように、嗜癖システムの中では二元論のプロセスが他にもたくさん活用されているのです。
二元的思考のプロセスはまた、二つの選択肢から一つを選ばなければならないような状況を創り出します。たとえ選択肢のいずれもが受け入れがたい場合でもです。そしてこのプロセスは人びとを身動きできなくさせ、安定(停滞)というものがあり得て、望ましいものでさえあるという幻想を彼らが持ち続けることを助けます。