条件付きの愛
エーリッヒ・フロム著「愛について」紀伊國屋書店
母親は私たちが生まれた家である。自然であり、大地であり、大洋だ。父親はそうした自然の故郷ではない。
父親は自然界を表しているのではなく、人間の生のもう一つの極、すなわち思考、人工物、法と秩序、規律、旅と冒険などの世界を表しているのである。子供を教育し、世界へつながる道を教えるのが父親である。
父親には、この役割と並んで、もう一つ、社会経済的な発達と深い関係のある役割がある。私有財産が生まれ、その財産を息子の一人に相続させることができるようになったとき、父親は自分の財産を託させるような息子を探すようになった。
当然ながらその息子は、後継者として最もふさわしいと父親が考えるような息子、父親に一番似ている息子、したがって父親のいちばん気に入っている息子である。
父親の愛は条件付きの愛である。「私がお前を愛するのは、お前が私の期待に応え、自分の義務を果たし、私に似ているからだ」というのが父親の愛の原則である。
父親の条件付きの愛にも、母親の無条件の愛と同じく、否定的な側面と肯定的な側面とがある。否定的な面は、父親の愛を受けるには資格がいる。つまり期待に応えなかった場合にはその愛を失うということである。
父親の愛の性質からすると、服従こそが最大の美徳である。不服従は最大の罪であり、その罰は父親の愛の喪失である。
肯定的な側面も同じくらい重要である。父親の愛は条件付きだから、それを得るために努力することが可能である。父親の愛は母親の愛とは違って、自分にコントロールできないものではないのである。
子供に対する母親の態度と父親の態度の違いは、子供自身の必要性の違いに対応している。幼児は、生理的にも精神的にも、母親の無条件の愛と気遣いを必要とするが、六歳を過ぎると、父親の愛、権威、導きを必要とするようになる。
母親には子供の安全を守るという役割があり、父親には、子供が生まれた特定の社会が押し付けてくるさまざまな問題に対処できるよう、子供を教え導くという役割がある。