愛の一元論
エーリッヒ・フロム著「愛について」紀伊國屋書店
理想的なケースでは、母親の愛は、子供の成長を妨げたり、子供の無力さを助長したりはしない。母親は生命力を信じなければならない。心配しすぎて、その心配を子供に感染させるようなことがあってはならない。子供が独立し、やがては自分から離れていくことを願わなくてはいけない。
父親の愛は原理と期待によって導かれるべきであり、脅したり権威を押し付けたりすることなく、忍耐強く、寛大でなければならない。成長する子供に、すこしずつ自分の能力に気づかせ、やがて子供がその子自身の権威となり、父親の権威となり、父親の権威を必要としなくなるように仕向けなければならない。
やがて子供は成熟し、自分自身が自分の母親であり父親であるような状態に達する。成熟した人間は、いわば母親的良心と父親的良心を併せ持っている。
母親的良心は言う。「おまえがどんな過ちや罪をおかしても、私の愛はなくならないし、おまえの人生と幸福に対する私の願いもなくならない」。
父親的良心は言う。「おまえは間違ったことをした。その責任を取らなければならない。何よりも、私に好かれたかったら。生き方を変えねばならない」。
成熟した人間は、自分の外側にいる母親や父親からは自由になっており、自分の内部に母親像・父親像をつくりあげている。
しかし、フロイトのいう超自我とは違って、彼は母親や父親を自分のなかに取り込むのではなく、自分自身を愛する能力によって母親的良心を築き、理性と判断によって父親的良心を築き上げるのである。
しかも、母親的良心と父親的良心は互いに矛盾するように見えるが、成熟した人間はその両方によって人を愛する。父親的良心だけを保持しようとしたら、残酷で非人間的な人間になってしまうだろう。母親的良心だけを保持しようとしたら、判断力を失い、自分の発達も他人の発達も妨げることになるだろう。
母親への愛着から父親への愛着へと変わり、最後には双方が統合されるというこの発達こそ、精神の健康の基礎であり、成熟の達成である。神経症の基本原因は、この発達がうまくいかないことである。