外向型の無意識の構え
今日我々は神話や歴史がなくても生まれることができ、生きることができる思っていますが、それは病んでいるのであって、完全に異常なことなのです。➡ヒストリーチャンネル「夢の賢者ユング」1、夢の生涯 より
C.G.ユング「タイプ論」みすず書房
次に心理的な基本機能が外向的な構えのためにどのような変化を蒙るかを述べることにしよう。
■無意識の構え
「無意識の構え」などと言うと、おそらく怪計な顔をされることと思う。しかし、これまで十分に明らかにしてきたように、私は意識に対する無意識の関係を補償的なものと考えている。この見方によれば、意識と同様に無意識も構えをもっていることになろう。
私は前項において外向的な構えにはある種の一面性へ向かう傾向があることを、すなわち心的現象の過程において客観的要因が主導権をとることを明らかにした。外向型はつねに(一見したところ)自らを客体の手に委ねようとし、主体を客体に同化させようとする。私は先に外向的な構えが度を過ごすといかなる結果が生じうるかについて詳しく述べておいた、すなわち主観的要因が有害な抑圧を受けるのである。
それゆえ意識の外向的な構えに対する心的な補償は、主観的要素を特別に強調するであろうと予想することができる。すなわち「外向型」の無意識の中には強度の自己中心的傾向が指摘されるはずである。
無意識の構えは、意識の外向的な構えを効果的に補完するために、一種の内向的な性格をもつ。無意識はエネルギーを主観的要素に、すなわち意識の構えがあまりに外向的なため抑圧されたり排除されたりしていた欲求や要求に、集中させる。
おそらく前項を読んですでにお分かりのことと思うが、客体や客観的事実に従って方向づけがなされると主観的な心の動き・意見・希望・欲求・の多くがむりやり抑えつけられ、本来これらに注がれるべきエネルギーが奪われてしまうのは、分かりやすい道理である。
人間は機械ではないのだから、必要とあらばまったく別の目的のために作り直すことができ、そうすればまったく別の様式で以前と同じように規則正しく機能する、などということは絶対にないのである。
人間はつねに自らの全歴史と人類の歴史を背負っているのである。ところがこの歴史的要因は生死にかかわる欲求であって、これを満たすには賢明なやりくりが必要となる。過ぎ去ったものが新しいものの中で何らかの発言をし、それと共存していなければならないのである。
図:鈴木秀子著「9つの性格」PHP