一人の人間として
アンソニー・スティーヴンズ「ユング」講談社選書メチエ
ユングの治療を受けた患者たちの多くは、彼はあたたかく、誠意をもって、とても鄭重に迎えてくれた、と証言している。
彼はどんなときにもユーモアのセンスを失わなかったから、もったいぶったり、偉そうにしていたりすることはありえなかったし、自分自身の人間としての弱さをけっして隠そうとはしなかった。
たとえば彼は、ある新しい、不安に怯える患者がやってきたとき、安心させるような笑みを浮かべて、「そうですか、あなたも私と同じように困ってるんですね」と語りかけた。
ユングは、自分のもとを訪れる人びとを「患者」としてではなく一人の人間として迎えるべきだと考えていた。 ユングによれば、毎回の診療は臨床的会見であると同時に社会的な機会でもある。
そのため、彼はけっして長椅子も、はっきりそれとわかる技法も使わなかったし、かけひきもせず、誰にたいしても、たまたま問題を抱えているかもしれないが、本質的には正常で健康な人として接した。
もし人が神経症を抱えているとしたら、その点だけは特別だが、人は正常な人間として、社会的礼節をもって扱われるべきである。【ベネット『ユングとの出会い』】
患者たちにとっていちばん印象的だったのは、 ユングが分析的状況の中にいる、つまり全面的にそこにいるということだった。見えない所に離れているのではなく、投影のスクリーンとしてそこにいるのでもなく、転移を操るのでも、臨床を管理するのでもなく、なまの人間として、全身全霊をあげて仕事にかかわり、患者を、自分より劣った病人としてではなく、自分と同等の者として尊重した。
彼は、自分は患者より優れているとか、すべての答えを知っているといった考えをいっさい退け、同時に、「傷ついた医者だけが治療できる」という信念を抱いていたから、自分自身の弱さをすすんで認めた。
かならずしもすべての答えを知らないということがひじょうに大事である。知っていたとしても何ひとつよいことはない。というのも、患者が自分で答えを見つけるほうがずっと価値があるからだ。【ベネット『ユングとの出会い』】