個性化の候補者
アンソニー・スティーヴンズ「ユング」講談社選書メチエ
私自身が教育分析を受けたイレーネ・チャンパーナウンは、 ユングの教育分析を受けた人だが、彼女はユングからこんな印象を受けたという。つまり、彼はたんに分析家だからそこにいるのではなく、私を通して自分自身の研究をしているのだ、彼もまた分析から学んでいるのだ、と。
そうした印象のおかげで、分析の重要性がますます高められたという。ユング自身も自伝のなかでそのことを認めている。 私の患者たちは私を、人間生活の現実のすぐそばまで連れていってくれたので、彼らから本質的な事柄を学ばないではいられなかった。さまざまな種類の、心理的レベルのまったく異なる人びととの出会いは、私にとって、名士たちとの断片的な会話とは比べ物にならないほど大事だった。
とりわけ、彼が片時も忘れなかったのは、患者はひとりとして同じではないのであって、 一般法則とか、教条的観念とか、普遍的な方法を無理やりあてはめてはならない、ということだった。彼は弟子たちにこう教えた。「まず理論を勉強しなさい。そして、患者が部屋に入ってきたら、理論は全部忘れなさい」。 ユングは、集団療法や大量生産的な治療法を嫌った。
「個人を相手にするときは、個人的理解だけが役に立つ」。すでにおわかりと思うが、患者にたいするユングの接し方は、伝統的な精神科医のそれとは根本的に異なっていた。伝統的な精神科医は、診察におとずれる人すべてに「医学的モデル」をあてはめ、「どこが悪いのか」を明らかにするために病気の兆候や症状ばかりに目を向け、診断を下し、治療法を処方する。だが、そのあいだ一貫して、臨床的距離と職業的権威を保ちつづける。
それとは対照的に、 ユングは患者にたいして、病理学の立場からではなく、健康への期待という立場から接し、「どこが良くなるか」を明らかにしようとつとめた。彼は症状よりむしろ象徴や意味に焦点をあて、どのような元型的要求が満たされずに欲求不満に陥っているのかを発見しようとした。
同時に、個人的な親密さと分析状況の「相互性」を通じて、患者に接した。この二つのアプローチの本質的な違いは、精神科医が患者を病の犠牲者と見るのにたいし、 ユング的アプローチは患者を個性化の候補者と見るということである。