「金髪の獣」を予言
アンソニー・スティーヴンズ「ユング」講談社選書メチエ
終戦直後、 ユングは、テレジエンシュタット強制収容所で生き延びた、傑出したラビであり宗教学教授であったレオ・ベックと、重要な会見をもった。 1946年にチューリッヒにやってきたベックは、 ユングの招待を断ったので、 ユングはベックのホテルまで出向いた。二人は二時間にわたって話し合った。ベックは、それまで耳にしていたユング批判をひとつ残らず持ち出し、 ユングを責めた。ユングはそのひとつひとつに答え、ベックはそれに納得し、結局、二人は仲良く別れた。
二人の議論の最中に、 ユングは、国家社会主義にたいする彼の最初の評価は「間違っていた」ことを認めた。これはどういう意味だろうか。当時のすべての人びとと同じく、彼は、ヒットラーが彗星のようにあらわれ、瞬く間に権力の座についたことに衝撃を受け、この独裁者はドイツ人の無意識のなかに眠っていた何か異常なエネルギーを汲み上げているにちがいない、ということに気づいた。
だが、 1924年の終わり頃までには、鋭い眼識の持ち主の例にもれず、 ユングも、そのエネルギーが邪悪で病的な方向にむけられていることに気づいた。要するに、国家社会主義は、政治的現象としてではなく、心理現象としてユングの興味を惹いたのである。
ナチスは、元型が個人を超えたレベルで機能した例であった。それは、抑圧された元型的要素は原始的・破壊的な形で無意識から噴出する傾向がある、という彼の見解と一致していた。
恐るべき先見の明によって、 ユングは1918年に発表した論文ですでにナチスの勃興を予言していた。
キリスト教によって、未開ドイツ人は上半分と下半分に分裂し、暗い側を抑圧することによって、明るい側を飼い馴らし、文明に適応させた。だが、暗い下半分はいまだに救出を、第二の馴化の呪文を、待っている。それまでは、先史時代の痕跡や集合的無意識と結びついたまま、独特な形でどんどん活性化されていくだろう。
キリスト教的な世界観がその権威を失うにつれ、「金髪の獣」が、いつでも飛び出していってすべてをめちゃくちゃにしてやろうと身構え、地下牢のなかをうろつきまわる音が、ますますはっきりと聞こえてきて、人びとを脅かすであろう。「無意識の役割」