反教条主義
菅靖彦「心はどこに向かうのか」NHK Books
マズローが「可能性の心理学」に傾斜していった理由として、彼の生きた時代も考えなければならない。まさにマズローが生きたのは激動の時代であり、価値観がめまぐるしく変貌する時代であった。そうした変化の時代には変化に対応できる人間こそ必要とされる。
1971年に出版された 『人間性の最高価値』(誠信書一房)の中で、 マズローは、
「われわれは現在、以前にみられなかったような歴史上の転換点に立っている。いまは生活のテンポは、以前よりはるかに速く動いている。たとえば、事実、知識、技能、発明、技術上の進歩についての認識について成長率の巨大な加速を考えればよい。これは、われわれの人間に対する態度について、また人間の世界との関係についての認識に、転換を求めていることは明らかである。大雑把にいって、
われわれは違った形の人間を必要としている。」と、述べ、「世界を固定化する必要のない人間、凍結し、動きのとれないものにする必要のない人間、親のやったことを踏襲する必要のない人間、なにが起こるかを知らなくても自信をもって明日に備えることができ、以前にはなかった状況の中で十分な確信を保持しつつ対処できる人間」こそ、新しいタイプの人間だとしている。
つまり、先入観にとらわれずに、柔軟に物事に対処できる創造的人間になる必要性を説いているのだ。彼の言う人間の「可能性」とは、そのような創造性の実現を指していると言ってもいいだろう。既存の枠組みに一切とらわれない 「反教条主義」的な彼自身の人生が、まさにそれを地でいくものだった。
■欲求の階層論
マズローの心理学の最大の特徴は、豊かな社会における人間の欲求や動機を扱っている点にある。たとえば、食べることに困ったり、いつも生存を脅かされたりしている社会では、生理的欲求や安全性を確保することに人々は汲々とせざるをえない。ところが経済的に豊かになり、警察力が強化されて安全性も確保されるようになると、人間は違った欲求をもつようになる。人に愛されたいという欲求や自己を評価されたいという欲求である。
こうした欲求はいわゆる自我の欲求に属しており、人々を努力させる動機となるが、それが満たされないと、孤独、嫉妬、怨み、葛藤に悩まされる。逆に、自分が今、孤独や嫉妬や怨みに悩まされていたら、愛されたいという欲求や自己を評価されたいという欲求に強く動かされていることを意味する。