自己実現の欲求
菅靖彦「心はどこに向かうのか」NHK Books
では、それらの欲求が満たされたら、人間は満足するのだろうか。満足しない、とマズローは言う。また新たな欲求を生み出し、それを満たそうとするのだ。その一つが自己実現の欲求である。
マズローは自己実現を定義して、「個人の才能、能力、潜在性などを充分に開発、利用すること」としている。自己実現の欲求は豊かな時代に特徴的なものである。現代人に広がっている精神的な空虚感は裏を返せば、自己実現の欲求に現代人が突き動かされている証拠とみなすこともできよう。マズローが発見した自己実現型人間とは、なによりもまず人生を楽しみ、堪能することを知っている人間である。
苦痛や悩みがないというのではない。そうしたものにめげず、つらい体験から多くのものを得ることができる人間、それが自己実現型人間の特徴だと述べている。
そのような人間は感情的になることが少なく、より客観的で、期待、不安、自我防衛などによって、自分の観察をゆがめることが少ない。また創造性や自発性に富み、自ら選択した課題にしっかり取り組む姿勢を持っている。
以上を総合すると、自己実現型人間は開かれた心をもち、とらわれの少ない積極的存在だということが分かる。だが、 マズローはかれらを過度に理想化してはいない。
完璧な人間など存在しない! よい人、実際にすばらしい、偉大な人物は存在する。...…(中略)...…この事実は人類の将来に希望を与えてくれる。ところが、その同じ人間がときに退屈、いらだち、短気、自己中心、怒り、憂鬱に陥ることがある。人間の本性に関して幻滅を避けるには、まず人間に対するわれわれの幻想を捨てなくてはならない。
■じわじわと体の奥からこみあげてくる幸福感
マズローの言う「自己実現」は決して静的な概念ではなく、自らの潜在性を花開かせていく成長のプロセスである。そうしたプロセスを推し進めていくには、まず成長したいという欲求をもつこ
と、自己防衛的にならずに新しいことに積極的に取り組み、集中力を養うことが必要だとマズローは唱えた。
こうしたことは一見簡単そうに見えても、いざ実行するとなると思い通りにいかないのが普通である。ただ充実した人生を送っている人なら、ここに掲げたマズローの条件は容易に合点がいくだろう。心理学などと言われると、なにか難しい理論をこねくり回しているように聞こえるが、その実、案外あたりまえで、人々が忘れてしまっていることを概念化していることも多いのである。