変性意識の再発見
C.G.ユング「タイプ論」みすず書房
もしそうなれば世紀の変わり目に醜い姿を見せた、あの虚ろで味気ない実証主義に陥ってしまい、同時に粗暴な感情や鈍感で尊大な暴力性の先駆形態である、あの知的放漫にも陥ってしまう。客観的な認識能力を過大評価すると、主観的要因・主体の意味そのもの・が抑圧されてしまうのである。
菅靖彦「心はどこに向かうのか」NHK Books
繰り返しになるが、至高体験も神秘体験も普段の意識とは異なる高揚状態で体験されるものである。そうした普段とは異なる意識状態のことをトランスパーソナル心理学では非日常的な意識とか変性意識と呼ぶ。
変性意識のもっとも古い例は、原始宗教の一形態であるシャーマニズムで活用されていたトランス状態だ。踊る、単純な所作を反復する、詠唱する、ドラムを叩く、といったことで古代の人たちはトランス状態に陥り、異界に旅立ち、そこで祖先の霊に会ったり、守護霊と呼ばれる動物の霊に会ったりして、治癒や占いを行った。今でも、 一部の先住民族の間ではそうした習俗が受け継がれている。
しかし、近代化された西洋社会では、変性意識はすこぶる評判が悪い。それは、近代社会が理性を重視し、理性的な状態、 つまりわれわれが普段暮らしている目覚めた時の意識状態を唯一正常な意識状態とみなしているからである。
近代社会で科学が幅をきかせ、宗教が脇に追いやられたのはそのせいだ。逆に、科学が幅をきかすようになったから、宗教が衰退したとも言える。衰退したという言葉が適切でなければ、形骸化し、人々に異界を体験させる機能を失ったと言ったほうがいいかもしれない。
近代社会において宗教が形骸化していくのと、変性意識が病理や精神的な退行とみなされるようになるのとは軌を一にしていた。それと同時に変性意識の一大ページェントだった祭りも単なるショーと化していった。
けれども、現代に変性意識がなくなったかというと、そうではない。夜見る夢、あれもれっきとした変性意識の一つなのである。古代人は夢を、日覚めている時の意識と同様に重視し、神話の拠り所にした。しかし、合理主義の発達は神話を迷信としてしりぞけたことで、 一部の芸術家たちを除き、夢に注目する者はほとんどいなくなった。
前世紀の変わり目頃、フロイトが精神分析学を創始し、患者の夢に注目したのは、変性意識再発見の第一歩だった。フロイトと訣別したユングはさらに大胆な一歩を踏み出し、精神病者の夢が古代の神話の世界と直結していることを明らかにした。
そして、人間の可能性の追求の果てに登場したトランスパーソナル心理学は、夢を含む変性意識の状態が、活用の仕方によっては、心の発達や癒しにはかり知れない効能を発揮することを再発見したのである。これはいわば古代のシャーマニズムの再発見とも言えるものだ。