内向的思考の特徴

<C・G・ユング著「タイプ論」みすず書房より>

内向的思考は主として主観的要因を基準にして方向付けられる。主観的要因は感情的判断として始まり、様々な過程を経て思考的判断に落ち着く。感情から出たイメージは少なからず完成されたものであり、それが規範として働く場合もある。

 

その思考は具体的なものも、抽象的なものも捉えるが、外的な事柄は内向的主観型にとって原因にも目的にもならない。いかに現実の世界に深く関わる内容であろうと、最後は必ず主体に戻ってくる。したがってこの思考は、事実を提示するという点で間接的な価値しかもたない。

彼が社会に与えるのは、新しい見解であって新しい事実ではない。これは問題提起や理論を産み出し、展望や洞察を開くが、既成事実には冷淡な態度を示す。事実は根拠を示すための材料にすぎず、事実そのものを求めているからではないからである。事実そのものを求めているようなポーズを伴う場合も、その時の風潮に合わせているだけであり、既成事実は常に副次的な意味しか持たない。

彼の目的は内なる目に見える<朦朧(もうろう)としたイメージ>を発展させ、具体的なものとして現すことである。これが目指すのは事実の再構成ではなく、事実を材料として骨組みであるイメージを補強し、目に見える形にすることである。

彼の創造力が真価を発揮するのは、既成事実に無い抽象的理念を生み出し、しかもその理念が外的な事実により普遍妥当なものとして証明されたときである

 

しかし、外向的思考が常に既成事実から、合理的な経験則を見出したり、新しい事実を常に創造できるとは限らないように、内向的思考も最初のイメージを、常に事実に合致した理念に置き換えることができるとは限らない

 

外向的思考が、純経験的な事実の寄せ集めで思考内容が捻じ曲げられ、五感が窒息させられるとすれば、内向的思考の場合は自らのイメージ(空想)を展開するために事実を曲げたり無視したりする危険をもっている。

 

外向的思考が<故在り、故にそれ在り>と言うのに対して、内向的思考は<我思う、故にわれ思う>と言うのである。外向的思考は客体と一体になることにより自分自身を否定してしまう危険を冒すが、内向的思考は、あらゆる条件を無視して自分が存在することだけで満足してしまうという危険がある。

 

内向的思考が客観的事実に疎い点を補償するのは、豊富な無意識的事実である。しかし、思考が幼稚で空虚な<神秘性>の領域に囚われると、味方となるはずの普遍妥当な生の法則から離れて、大量の太古的・呪術的・非合理的要素の伏魔殿に入り込む。

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