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精神的ホームレス

 

現代ビジネス:2019年2月8日/普通のサラリーマンをユダヤ人虐殺に突き進ませた「組織悪」の正体・根本正一 より

クラカウアーは当代のサラリーマン層を「精神的なホームレス」と形容した。彼の分析から言えるのは、まずホワイトカラー層は能力だけを頼りに生きていかなければならないという不安を常時抱えている

 

ひと昔前の貴族のように出自や財産という社会的基盤を持っていないのは当然としても、農民のように土地を持つわけでもなく、職人のように特別な職能を持つわけでもない。ホワイトカラー層が最も恐れるのは、「能力がない」と思われ、社会から落ちこぼれることである

 

事務全般に通用する汎用的な能力を求められる彼らは学校教育の過程で古典的教養もある程度身につけているのだが、社会からの承認を得るためにはどこまでも現実的な目先の知識を身につけようとする。それには公認の「資格」を得るのが手っ取り早い。大学やギルドが早くから発達したドイツは日本以上に資格社会であり、高級官吏や学校教員も含めて多くの専門職において選別のための資格制度が発達した。

 

エリートとして選別されたい」という意識は、他の人間を排除する精神をも生み出す。不測の経済状況から、また競争相手も次々と増えるにつれ、挫折を味わうサラリーマン層も多い。自尊心を挫かれたとき、権威に取り込まれながらもそこにしがみつき、その惨めさを忘却しようと努めるしか道がなくなる

 

ワイマール時代を生きた思想家エーリッヒ・フロムは、現代の中間層が精神的な不安から【頽落⇨おのれ自身ではない完全に心を奪われること】していく姿を描く。近代社会において自律的に生きることができるようになったが、伝統的な絆から解き放たれて逆に孤立し、孤独感を深める。

 

その恐怖から自由の重荷に耐え切れなくなった現代人は、権威主義的な「サド・マゾヒズム的性格」を強めるという。つまり、上位の権威を讃え、それに服従するとともに、下位には自らの権威を誇示し、服従させようとの心理である。⇨ 強者に対する愛と弱者に対する嫌悪

 

そこから、組織に属する人間は大ざっぱに2つのタイプに分かれていく。権威に従順に行動することで達成感を覚えるタイプと、権威を上手く利用して自らの欲望を満たそうと画策するタイプである

「組織の人」の無自覚な犯罪

そこで浮かび上がってくるのが、組織論理のなせる業である。近代の官僚制的ヒエラルキーのもとでは、職務自体が冷淡な人間関係のもとに事務的になっている点がまず挙げられる。そこでの組織人は仕事を完璧にやり遂げることに腐心し、その道徳的論議に踏み込むことはしない

 

そうした組織においては、組織人は集団から疎外されることを最も嫌う。そもそも権威を有する上位からの命令に抵抗するのは、基本的に難しい。一歩前に出ることによって、集団から自分が切り離されるのは辛いことだ。「順応への圧力」が働く。その方がまた、「組織のなかで認められたい」という欲求も満たすことができる。

 

組織のなかで人間が自分を見失うとき、その構成員同士の化学反応によって組織全体がとんでもない方向へと突き進む。しかも、彼ら自身はそれに気づかないか、気づいていてもその事実を見ないように努める。現代日本もまた然りである。⇨ 現代ビジネス:2019年2月8日/普通のサラリーマンをユダヤ人虐殺に突き進ませた「組織悪」の正体・根本正一 より

 

 

それぞれの思惑を抱いて組織内での自己実現を図るワイマール時代のホワイトカラー層は、経済合理化の波にさらされてその思いを達成できず、その不満解消をナチ党に求めていた。ナチ党は少なくともドイツ人の失業を解消し、モノや余暇に溢れた生活を保障し、また力によって道徳と秩序を回復した。それだけではない。ナチ党は傷ついたホワイトカラー層の自尊心を蘇らせるのには成功した

 

ここにワイマール期にサラリーマン生活に挫折し、ナチ党に入党、ナチの政権獲得後にホロコーストに多大な役割を果たした有名な人間がいる。ナチ親衛隊(SS)傘下の秘密国家警察(ゲシュタポ)のユダヤ人課長、アドルフ・アイヒマンである。

 

アイヒマンは1906年生まれ、父親は電気軌道会社の計理士で、厳格なプロテスタントの家庭で育った下層中産階級の出である。しかし、5人兄弟のなかで最も成績が悪く、職業訓練学校も中退。その後、ワイマール期には父親の人脈でセールスマンとしての生活を続けたが、業績も挙げられず解雇されてしまう。

 

しかし、そのころオーストリア・ナチ党に入党したことが、彼を時代の寵児へと押し上げた。SSに入隊すると、後の国家保安本部長官ラインハルト・ハイドリヒに見出される。アイヒマンはユダヤ人担当課に配属され、オーストリアがドイツに併合(1938年)されると、同国内のユダヤ人の移住政策に邁進する。

 

彼は深く物事を考える人間ではなかったが、ユダヤ人を故国パレスチナに向かわせるシオニズム運動に共鳴していて、強制移住は善行と信じていた。しかし、追い出した後に他国がユダヤ人の受け入れを好まず、強制収容所送りになることには思いが至らなかったようだ

 

駆り集めたユダヤ人の人数と、目的地の収容所の収容人数、また1つの列車に詰め込める人数と目的地までの輸送距離・時間から、綿密な列車時刻表を組み立てる――この数学的な公式を解く作業は、セールスマン稼業を送った経験のあるアイヒマンには得意とする分野であったようだ。

 

その流れ作業的な、効率的な官僚的手法は、短期間で大量のユダヤ人を抹殺するナチの政策にぴたりと当てはまった。アイヒマンはその功績を認められてユダヤ人課長まで出世している。彼は命令を忠実に実行して、それが認められることに最大の喜びを感じる人間であった

日本人の道徳と共同体

 

★現代ビジネス/2019年5月16日:なぜ多くの日本人が「原発問題」について思考停止に陥ってしまうのか(堀有伸・精神科医) より

精神科医の仕事をしていると、先に述べたような抑うつ的な不安、つまり重要な存在を失ったことによる悲しみや怒り、罪悪感を受け止めてくれる場が失われていることを痛感します。つまり、そういう心情を吐露しようとしても、多くの場合に無視される訳です。情緒的な一体感に水を差すものは忌避されます

 

それとは逆に、明るく前向きな姿勢を示すことが好まれ、注目を集めます。これが、「日本的ナルシシズム」が存続し、次第に強化されていくメカニズムです。「明るく華やかで前向きに」している限りでは人が集まってきますが、ちょっとでも弱みを見せれば、孤立しかねなません。

 

なぜ日本人にとっての自我の確立は難しく、周囲との融合的なかかわり方ばかりが維持・継続されてしまうのでしょうか。それは日本社会に生きる上で、近しい人々とのズルズルベッタリした関係を断ち切って自己主張をすることは理解されがたく、それとは反対に、融合的なかかわりに留まることで周囲からの報酬を何らかの形で与えられる可能性が高かったからだと考えます。

 

前者は激しく価値下げされますが、後者は理想化されます

 

■「他の人から注目される行為は、増えていく」逆に「他の人から無視される行為は減っていく」という原則⇨ 現在の日本人は全体として、「自己主張を行う人間は無視し、報酬を与えないように気をつける」「自分を抑えて空気を読んで黙々と行動する人間を丁重に扱う」という道徳を共有し、それをお互いに強化するような共同体になっているのではないか、と考えるようになりました。(「問題行動をくり返す人の治療に役立つ『シンプルな方法』」という小論)

 

★現代ビジネス/2018年2月27日:自分に不都合な現実をみとめない人々(堀有伸・精神科医) より

筆者が「日本的ナルシシズム」という言葉を強調するようになったきっかけがある。

 

それは、うつ病などの症状が出現しているのにもかかわらず、決して自分の心身の異常という現実をみとめようとせず、逆にそれを指摘する筆者のことを、激しく軽蔑して攻撃するような姿勢をみせた患者や会社にくり返し出会ったことだ。結果としてうつ病が慢性化して難治化することがあり、時には自殺などの事故の可能性を高めてしまう。

 

そのようなパーソナリティーの成立には、東京電力のような日本型企業における、1940年体制のシステムで価値が高いとされた健康や献身・忠実などの価値観への過剰な同一化と、そうでない弱さ・不健康といった人間的な側面についての否認と憎悪が大きな影響を与えている。

 

その価値観を奉じる企業に同一化しなければ、その組織内で生き残ることができないのだとしたら、それに適応せざるを得ないだろう。そして、それに過剰適応した者が、有利な結果を得やすい日本社会の状況が、数十年間持続していた結果として、2011年の原子力発電所事故が発生したと考えている。

思考停止の理由

■ETV特集 シリーズ「司馬遼太郎の遺産」 第1回 「歴史からの視線~日本人は何ものか~」(1996年4月1日放送 44分)より抜粋


 

■現代ビジネス/2019年5月16日:なぜ多くの日本人が「原発問題」について思考停止に陥ってしまうのか(堀有伸・精神科医) より

 

本来ならば、ここで原発についての現実的な議論に進みたいところです。しかし私にはそこを科学的に論じるための専門的な知識や経験はありません。

 

その代わりに、他の部分では妥当性のある行動を取ることもできる日本人が、なぜここで全くの思考停止に陥ってしまうのかを、深層心理にまでさかのぼって考察したいと思います。そうするのは、自分の持てる能力を用いて、日本社会が危機的な状況を乗り越えることに貢献したいと願っているからです。

 

原子力発電は国策として行われてきました。そして、日本人にとっての「国」、つまり日本をめぐる表象群は、他国以上に強烈な無意識のコンプレックスを形成しています。国策の是非を論じることは、このコンプレックスが刺激されることであり、その際には意識的な統制を失った言動が現れやすくなります。

 

それを避けるために、なるべくこの主題に触れないようにして自分の心を守ろうとする反応が出現することも、珍しくはありません。この無意識のコンプレックスに私は「日本的ナルシシズム」と名前をつけ、考察を積み重ねてきました。その根本は、重要な他者への「融合的な関わり方」です。

 

日本の組織では、独立した個人が、それぞれの個性基本的人権尊重しながら構築していく関係性が組織運営の基盤にはなっていません でした。その代わりに、組織への心理的な融合が強く求められたのです。

 

組織への批判的な発言を行うことは、組織の活動に「水を差す」行為であると忌避されます。明確に言葉で表現されたルールや契約はその価値を軽んじられやすく、その代わりに、全体の空気や相手の意向を忖度して行動する技術の洗練が求められるようになっていきます。

 

そしてやがて、組織内部の感情的な一体感を、理論的な考察よりも重視する人間でなければ、組織における重要な地位を与えられないようになります。このようにして、ほとんどの日本の重要な組織が外部の世界の変化に対応できなくなり、多くのものが失われたのが平成の日本社会だったのかもしれません

原発事故後の日本社会

■ETV特集 シリーズ「司馬遼太郎の遺産」 第3回 「この国の行く末~現代日本への遺言~」より「二十一世紀に生きる君たちへ」(1996年4月3日放送)より抜粋:山折哲雄×田中直毅(対談)

 

現代ビジネス/2019年5月16日:なぜ多くの日本人が「原発問題」について思考停止に陥ってしまうのか(堀有伸・精神科医) より

戦後と原発事故後の日本社会

私は、全体主義的な社会から民主主義的な社会への移行のためには、深層心理における「他者との融合的な関わり方」が解消されて、一貫した個人としての責任を担える、独立した主体としての意識のあり方が確立されることが不可欠だったと考えます

 

精神分析の用語を使うならば、社会のメンバーのために、自我機能を適切に機能させるための仕組みが確立されていることが、民主主義的な社会を作るための前提です。しかし、戦後の日本では、そのような心理構造の奥深くに達すような改変が必要であることは多くの場合に理解されず、心理的な「他者との融合的な関わり方」を重視したままで、その融合的な場で「民主主義」や「基本的な人権」の題目が語られるという奇妙な事態が生じました。

 

語られる言葉は反権威のような内容でリベラル風の雰囲気であるものの、その内部運営のあり方は全く民主的ではなく、権威主義的だったりカリスマ的な指導者への心理的な融合を求めたりするような組織や集団が、戦後の日本には頻繁に出現しました。ただしこれは日本において深刻であるものの、いわゆる先進的な西欧の諸国でも認められる状況のようです。この事態への不満が、近年の世界的な潮流における保守派の勢力拡大の一因だと感じています。

 

「他者との融合的な関わり方」を求める傾向が強いことは、乳幼児的な「母子一体感」の境地が成人になっても色濃く残っていることを意味しています。私の考察が依拠しているクライン派の精神分析理論では、分離を試みることで二種類の乳幼児的な不安が刺激されることに耐えられなくなってしまうことを指摘しています。

 

一つは、妄想分裂ポジションにおける迫害的な不安です。大雑把には、加害や復讐といったテーマを巡る被害感情や強い敵意や攻撃性が刺激されるような心理状態です。自力で生存する力を持たず、生存を全面的に母親的な存在に依存する乳幼児は、「母の不在」という事態に強烈な欲求不満を覚えます。そこで生じる強い母への怒りや攻撃性は、乳幼児の心を圧倒するほどに強まります。今度は、強まり過ぎた自分の敵対的な感情も、不安の原因となります。無意識的な空想では、「自分が誰かを攻撃する」のは容易に「自分が誰かに攻撃される」に反転します

 

これは、自分が抱えていた強い攻撃性を他者に投影できることを意味するので、少し気持ちは楽になる部分もあるのですが、今度は敵意を帯びた他者に囲まれて迫害されるのではないかという不安にさいなまれるようになります。原発事故後の日本社会はある側面で、無意識的なこの妄想分裂ポジションにおける迫害的な不安が高まっていたとも言えます。そこでは、日本社会についての理想化とこきおろしの意識の分裂も生じました。

 

集団がこのような心理状態の中にある時に、そこに属するメンバーの緊張感と警戒心は高まり、交感神経優位の「戦うか逃げ出すか」といった行動の選択が優勢になります。放射線についての議論が感情的なものになっている時には、この妄想分裂ポジションへの心理的退行が起きていることが多いようです。

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地球ネコ
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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